あなたは愛の罠にかかっているだけだ 前編

記事
占い
インドの神秘家和尚OSHO

のサニヤシン(弟子)である

Sw Prem Sheelが

文字起こししてくれた

和尚の講和を転載する







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愛に情欲があったら

愛は地獄になるだろう

愛に執着があったら

愛は牢獄になるだろう



情欲なき愛は天国になる



執着なき愛は

それだけで神性そのものだ



愛にはふたつの可能性がある

あなたは

愛の中に情欲や執着を抱くことがある



それは愛という名の鳥の首に石を縛りつけ

飛べなくさせているようなものだ

もしくは愛という名の鳥を

黄金の籠の中に入れるようなものだ

その籠がどんなに高価でも

ダイヤモンドや宝石がちりばめられていようと

籠はやはり籠であり

鳥の飛ぶ力を奪うだろう



愛から情欲と執着を拭い去り

愛が純粋無垢で形を持たない時

愛を差し出し

そして求めず

ただひたすら愛を与える時

乞食でなく皇帝のような愛である時

愛が受け容れられたことを喜び

愛の取り引きをせず、

何の見返りも求めない時



その時あなたは

この愛という名の鳥を

大空へ解き放つだろう

その翼に力を与えるだろう

その鳥は

永遠へと旅立つことが出来る



愛は人を転落させもするし

愛は人を高みへと引き上げもする



すべては

あなたが愛のもとに何をしたかによる



愛はとても神秘的な現象だ

それは扉だ

片側は苦しみで

もう片側は至福

片側は地獄で

もう片側は天国

片側はサンサーラ

つまり生死の車輪であり

もう片側は解脱だ

愛は扉だ



情欲と執着に満ちた愛しか

知らなかったとしたら

あなたはイエスが

「神は愛である」と言うのを

理解出来ないだろう



サハジョが愛の歌を歌い始めると

居心地が悪くなるだろう



「よく分からない

 私だって愛したけれど

 惨めになって戻るばかりだった

 私は愛の名のもとに

 ちっとも花を咲かせてくれない

 棘(いばら)の茂みを

 収穫しただけだった」



他の愛は絵空事のように見える

献身となる愛

祈りとなる愛

解放となる愛は

単なる言葉遊びに見えてしまう



あなたも愛を知ったことがある



だが

そのたびに

情欲と執着に満ちた愛しか知らなかった



あなたの愛は本当の愛ではない



あなたの愛は

情欲と執着とセックスを隠す

カーテンにすぎなかった



外側ではそれを愛と呼ぶが

内側では何か別のものだ

異性と恋に落ちた時

あなたは何を望んだだろうか?



あなたの望みは性的で

愛は外側の飾りにすぎなかった

内側を深く探ると

あなたの愛はただの言葉にすぎず

その中で性的な欲望が

燃えているのが分かるだろう



だが

そうした炎を直接表現しても

受け容れられないから

外交手腕が必要だ



だからあなたは

手玉にとりたい女性(男性)に対して

君の魂を愛しているよと言う

自分の魂を知りもしないのに

どうして他人の魂が分かるのかね?



だが

肉欲に満ちた人は魂について語る

彼らの欲望は人の身体を弄ぶことなのに

彼らは内側の美について語る

だとしたら

愛を通して神を体験した

サハジョ、ダヤ、ラビアの言葉を聞いても

どうして信じられるだろう?



あなたは愛の罠にかかっているだけだ



でも

愛そのものに責任はない

責任はあなたにある

腕のいい医者だったら

毒からでも薬を作れる



しかし彼が何も知らなかったら

甘露でさえも毒になる

毒は単に毒ではなく

甘露も単に甘露ではない

あなたがどう用いるか次第だ

ときには毒が命を救い

ときには甘露が命を奪うこともある



「愛」という言葉は

充分に意味を伝えていない

愛は甘露にもなり得るし

毒にもなり得る

それはあなた次第だ



愛の中に欲望や執着があれば

毒になるだろう

愛を性的な欲望を満たす手段にするなら

愛の中に肉体の低次元な満足しか求めないなら

愛は葛藤と苦悩を呼ぶだろう

痛みや苦しみばかりを呼ぶだろう

それは鎖をもたらす



あなたは様々な夢を描いていたが

その夢は決して満たされなかった

あなたは様々な幻想や

儚(はかな)い願望を思い描き

大きな虹を見ていたが

近づくたびにみな消えてしまった

虹はすべて泥に落ち

夢はすべて偽りになってしまった



太陽の中で燦然と輝く彼方の黄金の城は

近づくたびに牢獄へと変わってしまった

それは愛の落ち度ではない

愛の名のもとに

あなたは何か別なことを試みていた

それは贋金(にせがね)だ



だから

愛は執着から解放されるべきだ

愛が束縛となってはいけない

愛は自由であるべきものだ



あなたの愛する人を自由にさせなさい



愛する人を自由にすれば

自分が奴隷にならずにすむ

すると

誰もあなたを奴隷に出来ない



しかしあなたは愛する人を奴隷にし

そのまわりに壁を築きたがる

その手に鎖を繋ぎたがる

しかしその手に鎖を繋ぐなら

彼もあなたの手に鎖を繋ぐだろう



この真理を忘れてはならない





あなたが生から受け取るものは

すべて自分が生に与えたものだ

何であれ

あなたは自分が与えたものを受け取る

これが過去の行為

すなわちカルマの理論の全容だ



愛の束縛を受けたことがあるなら

それは誰かを愛によって

奴隷にしたいと思った証拠だ

愛ゆえに人を自由にさせ

期待なき愛を注ぎ

愛を注いで見返りを求めず

条件や駆け引きのない愛を傾け

愛を差し出して

受け容れられたことに感謝するなら

それで充分ではないかね?



あなたの愛は拒絶されることもあり得た



すると

ゆっくりゆっくり

愛が上昇し始めるのが分かるだろう

愛欲は遥か下の方に置き去りにされる

すると

愛欲の籠から解放された愛の鳥は

高く高く舞い上がることが出来る



そして

あなたはまったく新しい次元へと

成長していける

あなたの意識は新しい世界に入る

あなたは

「情欲や執着も愛の一部なのではありませんか?」

と尋ねている

それはあり得る



だが

そうである必要はない

普通はそうだ

100のうち99はそうだ

だが

たいしたことはない

たとえ一回でもそうでないのなら

その一例が充分な証明となる



あなたが望めば

他の99回のせいで

1回がそうなる必要はない

もし一粒の種が割れて木になれるなら

すべての種が割れて木になれる



そうならないとしたら

それはまた別の問題だ

それらはふさわしい土壌に

ないのかもしれない



イエスは言っていた

「一握りの種を蒔きなさい

 ある種は歩道に落ちる

 人々は行き交い

 その種は芽を出さないだろう

 ある種は道端に落ちる

 そこで芽生え

 少しは成長するかもしれないが

 動物が食べたり

 子供が引き抜いたりするかもしれない

 ある種は石や岩の上に落ちる

 それは決して芽を出さない

 ある種は肥沃な土地に落ちる

 その種は芽を出し

 成長し、木になる

 その木には花が咲き

 果実が実るだろう」



ときおり種子は芽生えて仏陀となり

ファリッドとなり

サハジョとなる

彼らは自らの開花に至る



それがあなたの種子に起こっていないなら

少し注意を払いなさい

あなたは岩だらけの間違った場所か

岩がないとしたら

常に人が行き交う場所に

落ちてしまったのかもしれない



あるいは

人の往来しない場所にあるとしても

保護も囲いもないのかもしれない



正しい土壌を見つけなさい

そうすれば

仏陀やクリシュナの中に

生まれたのと同じものが

あなたの中にも生まれるだろう



それはあなたの可能性だ

すべての人の可能性だ

存在はどの人にも

これに満たない可能性を授けてはいない

存在そのものが

あなたを創造した

存在は

存在以外の何ものも創造出来ない



神性はあなたを創造した

それはあなたの生の源泉として

可能性として

あなたの中に潜んでいる



愛は解放になり得る

それはすべての愛の可能性であり

すべてのハートの可能性だ



でも気をつけなさい

執着を断ち切ることだ

なのに

あなたは執着の網を広げ続けている

あなたは

愛とは何かを忘れてしまい

情欲を愛と呼び始めている



インドの神秘家和尚OSHO

講和集Showering Without Clouds

より抜粋
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