好きこそものの上手なれ 英語と私の因縁と…

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ナレーターや声優という声のお仕事が一番好き、それができる今がとっても嬉しいというのは紛れもない真実なのですが、私の暗黒期の支えであり今もちょっぴり頼りにしているのが英語さんなのです。いわば盟友のような関係なのですが、またまたこちらもすんなり仲良くなれた盟友ではなかったのです。

うーん何事も一筋縄では行かないから面白いのかもですね。
暗黒期から抜け出すときから始まったのが私の英語講師のお仕事で、一応幼児から大人相手まで英語を教える経験は積んできて、未だに現役講師もしています。

…が、実は中高時代の先生に「英語教えてまっす!」なんておよそ言えない、どん底成績を叩き出していました。しかも当時の私「英語嫌い!絶対海外なんて行かない!」と宣言していて、ついでに「先生は絶対やりたくない職業!」って決めていたんですが、そのコンビネーションを将来するとは、中高生の「絶対」って当てにならないんですねぇ。…私の場合だけかな?

先にネタバレしちゃいますが、実は大学では英語大好きさんに変身して2年制では転専攻、果ては2週間の短期留学から5ヶ月の語学留学まで行って、英語教えちゃうわけなんですが。

さてさて私の英語転落のスタートはすでに中1から始まりまして、今思うと当時の英語の先生も浮世離れした授業中に「にゃんにゃんにゃーん♪」と歌い出す不思議ちゃんだったのですが、プラスαで学校で使うテキストが当時レベルが高いと有名なもので、学校の進みも塾に行くの前提の異常な速さだったんですよね。だって中1の夏時点の定期試験で答えは全部筆記体って鬼でしょ。

それに加えて以前もお話したように、私は猛スピードで授業が進む中窓からお空の雲を眺めていたわけですから、一番の原因は私自身ですが、ものの見事に置き去りにされ、中2の文型のところを緊張しまくった教育実習生に教えられてとどめを刺された感じでした。(結局大学入試時点でもSVOCのOとCなんてナゾのままでした。)

そして周りは英検受験なんかをする中、私は「英語嫌い!」とマイペースに受験拒否のまま高3まで突き進んでしまったわけです。(英検指導は各級豊富ですが実は私自身は今持ってる級を一回しか受験した経験がなかったり)

ここで、前にもブログで書いたように大学受験する・しないバトルで見事親にのせられて夏から受験体制に。この時点で「受動態って何?」っていうレベルだったのでもう笑うっきゃない。とにかく、親と一人暮らしを掛けた大学受験突破のため、私に残された手段は志望大学の英語「だけ」はなんとかするということしかありませんでした。

志望大学の過去問を見るとある意味ラッキーなことに長文問題しかなかったんですね。しかも内容だけ聞かれるタイプで。つまり「読めさえすればいいんだ」と開き直ったわけです。だからもう文法そっちのけで、定番の受験単語と、長文の内容把握だけに絞って受験勉強はしました。

でもこの時大量に英文と向き合ったのですが、内容のみ掴むなら、そんな厳格に文法を知らなくてもなんとかなるということに気づけたのが、私と英語の最悪な関係性の雪解けの始まりになったのです。

続く。

ということでなんでも一筋縄には行かない私は英語との関わりも案の定ブログ一回に収まるはずもなく、雪解けまでで今回わおしまいですが、このあとどっぷり英語にハマって海の向こうに飛んでいっちゃいますからね。

そして飛んでいった先でまた色々あったりと、果てしなくネタはあるのですが、それを全部書ききれるかな。気楽に楽しんで読んでいただけたら嬉しいです。

今回もご拝読ありがとうございました!



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