1917年(大正6年)5月13日、ポルトガルの田舎村ファティマの三人の牧童の前に、聖母マリアが初めて姿を現わしました。このことはローマ教皇庁が正式に奇跡として認めています。
7月13日、聖母マリアが両手を広げると、三人の子供は強い光線とともに火の海のような光景を見せられました。そこでは悪魔や人間のかたちをした霊魂が、絶望と苦悶のうちに火のかたまりになっており、聖母マリアは、これは地獄の様子であると告げました。これはファティマ第一の預言と呼ばれています。
そして、多くの人たちが私の言うことを聞くならば第一次世界大戦は終るが、人々が神に背くことをやめないならば、もっとひどい戦争(第二次世界大戦)が起こるでしょうと預言しました。またロシアはこれから神を信じなくなると告げました。これはファティマ第二の預言と言われています。
聖母マリアは子供たちに「10月13日には、すべての人々が私の言うことを信じるように、一つの奇蹟を行ないます」と告げたので、その日には九万人を超える人々がファティマに現れました。
すると、太陽が様々な色に変化した後、ぐるぐると回転し、時には急降下するように動きました。この奇跡は居合わせた新聞記者たちも目撃して、ポルトガル中の新聞が大々的に報じました。(写真)
第三の預言について、聖母は1960年に公表するように教皇庁に指示しましたが、教皇庁は公表しませんでした。 これがいわゆる「ファティマ第三の預言」と言われるものです。この預言を見たローマ教皇ヨハネ23世は絶句して再度封印し、次代のパウロ6世は衝撃を受けて卒倒したといわれています。
2000年に至り、教皇庁は「第三の預言」は1981年5月13日の教皇暗殺未遂事件を指していたと発表しました。しかし真の内容を伝えた当時子供だったルシアは「それはほんの一部で、バチカンは嘘をついている」と言っていますし、私には戦争もしくは大災害と バチカンの人々の大量死のように感じます。
教皇庁が発表しているファティマ第三の預言を公開します。
「すでに述べたあの二つの啓示のあと、わたしたちは、マリアの左側の少し高い所に、火の剣を左手に持った一人の天使を見ました。しかしその炎は、マリアが天使に向かって差し伸べておられた右手から発する輝かしい光に触れると消えるのでした。天使は、右手で地を指しながら大声で叫びました。「悔い改め、悔い改め、悔い改め」。
それからわたしたちには、計り知れない光―それは神です―の中に、「何か鏡の前を人が通り過ぎるときにその鏡に映って見えるような感じで」白い衣をまとった一人の司教が見えました。
「それは教皇だという感じでした」。そのほかに幾人もの司教と司祭、修道士と修道女が、険しい山を登っていました。その頂上には、樹皮のついたコルクの木のような粗末な丸太の大十字架が立っていました。
教皇は、そこに到着なさる前に、半ば廃墟と化した大きな町を、苦痛と悲しみにあえぎながら震える足取りでお通りになり、通りすがりに出会う死者の魂の為に祈っておられました。
それから教皇は山の頂上に到着し、大十字架のもとにひざまづいてひれ伏されたとき、一団の兵士達によって殺されました。彼らは教皇に向かって何発もの銃弾を発射し、矢を放ちました。
同様に、他の司教、司祭、修道士、修道女、そして様々な階級と職種の平信徒の人々も次々にそこで死んでいきました。
十字架の二つの腕の下にいた二位の天使は、おのおの手にした水晶の水入れに殉教者たちの血を集め、神に向かって歩んでくる霊魂にそれを注ぐのでした。
トゥイにて 1944年1月3日
— 教皇庁教理省『ファティマ 第三の預言』
(左下のハートを押して下さると嬉しいです)