お墓参りに行けないままの日々へ

お墓参りに行けないままの日々へ

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「もう何年も、お墓参りに行けていません。行かなければと思いながら時間だけが過ぎて、そのことを考えるたびに胸が重くなります。私は薄情なのでしょうか」。こうしたご相談を、季節の変わり目になると必ずいただきます。お盆やお彼岸が近づくと特に増えますし、ご相談の文面からは、責める言葉を自分自身に向け続けてこられた時間の長さが伝わってきます。

先にお伝えしたいことがあります。薄情な方は、そもそもこの問いを抱きません。忘れてしまえる人は気にならないのです。何年も気にかけ続けているという事実そのものが、その方がすでに手放していない証だと私は感じています。

波動の面から見たとき、ご先祖やお身内の方とのつながりは、場所に縛られているものではないように思われます。お墓は確かに祈りの中心となる大切な場所です。けれども鑑定の中で感じ取れるつながりは、石の前に立っているかどうかで太くなったり細くなったりするものではありません。むしろ、遠く離れたところでふと思い出された瞬間に、そのつながりがはっきりと明るくなるように感じられることがあります。台所に立っていて、その方の好きだった料理を思い出した。同じ季節の風が吹いて、ふと顔が浮かんだ。そうした何気ない一瞬に、静かな交流が起きているように見えるのです。

では、なぜこれほど心が重くなるのでしょうか。私が思うに、重さの正体はご先祖からの咎めではなく、ご自身の中にある「まだ何かを返せていない」という感覚ではないでしょうか。受け取ったものが大きかった方ほど、返しきれていないという気持ちを抱えます。その気持ちは尊いものですが、返済のように考えてしまうと、一生終わらない負債になってしまいます。

距離が遠い、体調が思わしくない、仕事や介護で時間が取れない、経済的に難しい、行くと感情が揺れてしまって耐えられない。行けない理由はさまざまですし、そのどれもが本当の理由です。理由がある状態を「言い訳」と呼んで自分を裁く必要はありません。

もし少しでも心を軽くしたいと思われるなら、今いる場所でできることから始めていただきたいのです。お写真がなくても構いません。手を止めて、目を閉じて、その方の名前を心の中で呼んでみる。「ご無沙汰しています」「元気にしています」と、話しかけるように心で伝える。それだけで十分に届くものだと私は感じています。お水やお茶を一杯そなえる、いただき物のお菓子を少し置く、そうした小さな形があると、気持ちが落ち着きやすくなる方もいらっしゃいます。

そして、いつか行ける日が来たときには、遅れたことを詫びるところから始めなくてもよいのではないでしょうか。長く気にかけてきた時間そのものが、すでに祈りだったからです。行けなかった年月を謝罪で埋めるより、今の暮らしの話をされるほうが、きっと喜ばれるように思います。

ご先祖は、子孫が自分のことで苦しむことを望んでいないと、鑑定の場で繰り返し感じてきました。行けないまま過ごした時間を悔やむよりも、その方が安心して日々を送っているかどうかのほうが、ずっと大きな関心事であるように感じられます。

どうしても気持ちの整理がつかないときには、一度ご一緒に見てまいりますので、よろしければプロフィールページをのぞいてみてください。
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