最近、よく考えることがある。
スピリチュアルの世界では、「潜在意識が現実を創る」と言われる。
今は化学でも証明されている。
それなのに何故、
この世界には争いがあるのだろう?と。
私たちの多くは、平和を願って生きている。
家族を愛し、友人を大切にし、
誰かを傷つけたいと思いながら生きている人は少ない。
それなのに世界では争いが起こる。
もし人類が深いところで一つに繋がっているのなら。
もしワンネスと呼ばれる世界が本当にあるのなら。
なぜ人は争うのだろう。
そんなことを考えていた。
最初は、「きっと人は不安や恐れを抱えているからだろう」と思った。
でも、考えれば考えるほど、もっと深いところに何かあるような気がした。
人間は愛だけを持った存在ではない。
優しさも持っているけれど、怒りも持っている。
思いやりも持っているけれど、嫉妬も持っている。
許したい気持ちもあるけれど、憎みたい気持ちもある。
占星術でいうなら、私たちの中には金星だけではなく、
冥王星も存在している。
光だけではなく、影も存在している。
そして、その影を無かったことにはできない。
もし、ワンネスがあるのなら…
個人同士の小さな喧嘩が、
集団になると差別になり、
国家になると戦争になる。
ひろくなるほど、深くなるほど、大きくなる。
それなら逆もまた同じなのだろう。
個人の小さな優しさが、
集団では助け合いになり、
国家レベルでは平和になる。
どちらを広げるのか…それは
私たち一人ひとりに委ねられているのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、ある疑問が浮かんだ。
なぜ人は他人を憎むのだろう。
なぜ人は人と比べてしまうのだろう。
嫉妬したり、羨んだり、競争したり。
本当はそんなことをしたくないはずなのに…。
でも、もしかするとそれは、
人間が自分という存在を認識するために必要な過程なのかもしれない。
もし、この世に自分しか存在しなかったら。
私は自分がどんな人間なのか知ることができるだろうか。
優しいのか。意地悪なのか。
強いのか。弱いのか。
それすら分からないかもしれない。
この考え方じだい、もうニ極だ。
でも、私たちは他者を通してしか自分を知ることができないのだ。
だから人は比較する。
だから人は対立する。
だから人は悩む。
そう考えると、この世界の二元性は残酷だけれど、
とても精巧な仕組みにも見えてくる。
正しいと間違い。
善と悪。
成功と失敗。
勝ちと負け。
私たちは常に二つの間で揺れ動いている。
正直に言うと、この仕組みが嫌になることもある。
もっとシンプルでいいじゃないかと思う。
でも、もし最初から愛しか存在しなかったら…?
私たちは愛を認識できただろうか…
高次元は愛の世界と言われている。
でも、それだけしかない世界ならば、きっと、
それは当たり前になって、
愛や感謝ばかりになると、
それを純粋に感じることも当たり前になって、
そしていつかきっと、退屈になる。
温かさは寒さがあるから分かる。
光は闇があるから分かる。
愛もまた、孤独を知ることで初めて理解できるのかもしれない。
そう考えた時、私の仕事である占いの現場が思い浮かんだ。
占いの相談で圧倒的に多いのは恋愛相談だ。
「彼は私をどう思っていますか?」
「復縁できますか?」
「連絡は来ますか?」
「どうしたら彼を手に入れられますか?」
みんな本当に真剣だ。
苦しくて、眠れなくて、
どうしていいか分からなくて相談に来る。
もちろん、それはとても大切な悩みだ。
でも、その言葉を一枚一枚めくって、もっと深いところをみると、
最後には別の言葉が現れる。
「怖かった」
「失いたくなかった」
「認めてほしかった」
そしてさらに奥へ進むと、
「私は愛される存在なんだろうか」という問いに辿り着く。
恋愛の相談に見えて、実は存在そのものの相談だったりする。
人は愛してほしい。
認めてほしい。
大切にされたい。
それはとても自然な願いだ。
けれど、「愛してほしい」と思っている時。
その奥には、「私はまだ愛されていない」
という認識が隠れていることもある。
だから相手から愛をもらおうとする。
相手から価値を証明してもらおうとする。
相手から安心をもらおうとする。
でも、それだけでは苦しくなる。
なぜなら、自分の価値を相手に預けてしまうからだ。
LINE一通で幸せになり、
既読がつかないだけで不安になる。
会えれば安心し、
会えなければ自分の価値まで失ったような気がする。
それは本当に辛く…苦しい。
だからそこ心底思う。
大切なのは、自分を愛することなのだと。
でも、その自分を愛するというのが、
とても難しいと思っている人も多い。
自分を愛するというのは、
「私は最高!」と言い聞かせることではない。
嫉妬している自分も。
怒っている自分も。
怖がっている自分も。
愛されたくて苦しんでいる自分も。
そのすべてを自分の中から追い出さないこと。
光だけではなく、影も含めて抱きしめること。
光も影もあると認めること。
受け入れること。
それが本当の意味での自己愛なのだ。
もし人類が深いところで繋がっているのなら。
世界を変える方法は案外シンプルなのかもしれない。
誰かを変えることではなく、
自分の中の怒りを理解すること。
自分の中の嫉妬を理解すること。
自分の中の悲しみを理解すること。
そうして一人ひとりが、自分自身の影と少しずつ仲直りしていくこと。
個人の優しさが集団の助け合いになり、
集団の助け合いが社会の平和になり、
社会の平和が世界の愛になる。
そんな未来が本当に来るのかは分からない。
でも少なくとも私は、愛だけが人間ではないと思う。
私たちは愛も持っているし、影も持っている。
だからこそ悩み、
だからこそ傷つき、
だからこそ成長する。
もし愛だけで生きられる存在なら、
この世界は生まれなかったのかもしれない。
光と影の両方を抱えながら生きる。
それが人間という存在なのだと思う。
そして今日もまた、私は誰かの恋愛相談を聞きながら、
その奥にある「私は愛される存在なんだろうか」
という小さな心の叫びに耳を傾けている。
間違いなく、あなたは、愛される存在。
あなたの影を無くすことはできずとも、
共に進み、その傷を癒していくことはできる。
人の心に触れるというのは、そういうものだと思うのです。