【原則的な願い方】
記事
学び
日常的スピリチュアル、安田です。
原則的な願い方というのは
大きな目的から願い
大きな目的のために
使命、責任を全うできるように
願うことなのです。
この原則からズレた
願い方では
願いが叶わないだけではなく
宇宙の法則、原理原則からも
ズレていくのです。
願いというのは
「何々をください、してください」
という、ご利益を願うのではなく
使命、責任を全うできるように
願うことなのです。
使命、責任を全うできれば
願いは叶うようになっています。
何の努力もしないで
願いを叶えることは
原則からズレています。
そして、願いを叶える目的は
より大きな目的に貢献するために
叶えるという動機が必要なのです。
願うことは必要なのですが
原則的に願わないと
叶わないようになっています。
そして、使命ではないことは
どんなに願っても
叶わないようになっています。
たかが願うことに
面倒に感じるかもしれませんが
どうせ願うのであれば
原則的な願い方をして
充実感を感じてください。
自分次元の願いというのは
空しくなっていくし
今の時代の波動にも
合わないのです。
願いというのは
いつ、どこで
願ってもいいのです。
特別な空間
場所であれば
願いやすいのですが
いつでも、どこでも
願うことで
努力ができるのです。
願いというのは
宗教的に言えば
祈りと同じなのです。
宗教がズレていくと
ご利益ばかりを祈るようになり
「ご利益信仰」になることで
より宗教を毛嫌いする人が
増えてくるのです。
本来の宗教の基準というのは
より大きな目的のために
歩むことが目的なのです。
悟りの境地に至るのも
単に自分の目的のために
悟るのではなく
より大きな目的のために
悟るようになっています。
どんな宗教でも
最初はより大きな目的を
目指してきたのですが
目的を見失ってしまうと
ズレてしまうのです。
ある意味、自分次元の
願いが叶うかどうかは
どうでもいいのです。
より大きな目的
本来の基準が実現すれば
自分の願いは自然に叶っているのです。
宗教を毛嫌いする人が多いのは
「ご利益信仰」に対しての
みっともなさを感じているからです。
これは何の宗教を
しているかの問題ではなく
ご利益信仰の印象を与えてしまった
宗教人の責任でもあるのです。
自分の努力だけで
やってきた感覚がある人ほど
宗教を毛嫌いするのですが
どんなことを
成していくにも
自力と他力が必要なのです。
自力だけでは
大したことはできないし
他力だけを願っても
原則的ではないのです。
自力と他力が一致し
与えられた使命と
一致していれば
願いが叶うように
なっています。
心霊基準が上がることで
原則的に願わないと
違和感を感じるのです。
習慣的に願っても
違和感を感じながら願うと
努力ができなくなるのです。
努力をすることで
投入することができ
投入することで
真空ができます。
真空ができれば
自然に埋まるようになるのです。
ただ、その真空は
どのように埋まるのかは
分からないのです。
自分の願いの通りに
埋まることもあれば
願いとは真逆の通りに
埋まることもあります。
表面的なことだけで
判断してしまうと
納得いかなくなりますが
どのような結果であっても
願っている通りに
叶っているということです。
やるだけのことをやって
結果は委ねるしかないのです。
どんな結果であったとしても
必要なことが与えられていることを
信じていくことで
願いが叶っていることを
感じることができます。
原則的な願いをすることで
努力、投入する歩みができ
より大きな目的に貢献する歩みが
できるようになります。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌