AI活用「ことだま夢実現」プロデユース 3,000円〜
英語 マンダリン(中国語)タイ語 大阪弁 3,000円〜
基本 土日祝日はオフにします。
ライフスタイル・その他 / マッサージ師・セラピスト 経験年数 : 12年
ライフスタイル・その他 / カウンセラー・コーチ 経験年数 : 4年
ライフスタイル・その他 / その他 経験年数 : 2年
・AI活用「ことだま夢実現」プロデユース 3,000円〜
令和8年6月よりAI導入しました。 結果24時間オンライン学習環境が完成。 受講費用も「大幅値下げ」が実現しました。 日本人はもともと語学の天才。あなたを「英語劣等感」から解放します。
・英語 マンダリン(中国語)タイ語 大阪弁 3,000円〜
「レッドオーシャンの英語市場」をまだ追いかけますか? 英語のついでに中国語も「おまけ感覚」でますたーしちゃいましょう! タイで1200人に「クロオビ実力の日本語」を指導した経験と実績から 「学ぶより教えて」覚えるナラちゃんメソッドをおすすめします。 あなたの世界は「あなたのコトバ」でできています。 トリリンガル仙人になって「あたらしい世界」で生きましょう!
中国語 ビジネス会話レベル
英語 ビジネス会話レベル
タイ語 日常会話レベル
株式会社大市珍味 1980年4月 〜 現在
・本社勤務(製造部・営業部・海外事情部) / 関連会社代表取締役(ふくなお) 1980年4月 〜 1995年4月
水産品原料仕入れなどのためカナダへ長期出張。 新規工場の管理者(工場長)。 新製品R&D 海外事業【タイ国会社と工場立ち上げ&現地従業員への日本語指導など) 日本国内での人手不足対策担当 (中国帰国者就労支援 技能研修性受け入れ) 大阪のナラちゃんです。 1980年東京農業大学って関西ではだれも知らない大学に一人で乗り込んで無事卒業。 大阪かえってとある水産加工メーカーに就職。 最初の勤務地は大阪市内のスモークサーモン加工場。 なんで大阪にスモークサーモン加工場なの?北海道じゃね? そうなんです。なんで? 実はこの会社が製造してたスモークサーモンは鮮度重視の生(ソフト)タイプ。 当時の保冷輸送システムでは北海道から運べないので消費地大阪で加工が始まった。 事情知らない新入社員は 毎日朝から晩までサカナと格闘して自分のことをサカナ屋とおもいこんでしまったのだった。 【サーモン時代】 そして水産業界は原料の海外依存度が高い分野でして ひっきりなしに外国から見学者がくるのね。 で、ほかに対応するキャラクターがいないもんだからおいらが担当してたわけ。 最初は英語でやってたのかな。 ちょこっと台湾のお客に中国語使ったら通じてしまったのだ。 「おい、おまえ語学できるんか。じゃこれから海外はお前担当な。」ということで カナダの原料(サーモン検品)など任されるようになりました。 大体ブキヨウなヤツなので現場ワークあんまり向いてないから ていのいい厄介払いされたんかな? やがて 街中の加工場が郊外の大規模工場に移転が決まって 他になり手がなかった?のか 工場管理者に。 【現場管理者時代】 急遽「こうばチョー」とか呼ばれるたちばになったものの まだ24歳ですよ。 現場の管理もあったけど一番てこずったのがワーカー不足。 工業団地に入居したこともあって地域のおばちゃんをよその工場と取り合いする事態に。 今から思えば水は冷たいサカナはにおうし 絵にかいたような3K職場。 チラシまこうが説明会しようが全然求人あつまらず。 社長と一緒にアタマ抱える毎日だった。 そんなある日 労働省(当時)外郭団体が業界誌をもって営業に来たのだった。 ペラペラ中身をめくる中、役人が書いたエッセーに目がいった。 その役人いわく 「巷間人手不足がいわれておるが政府はすでに対策済みである。 大型店舗規制(当時)緩和や銀行土曜完全休業。この結果中小零細企業が淘汰されて おのずと人員不足緩和解消する方向である、云々」 吾輩怒り心頭 社長に「だまってたら会社つぶされますよ。オレに任せて」 というのも当時海外から技能実習生という体のいいワーカー受け入れシステムがひそかに進行していたのだ。 とりあえず食品メーカーがひしめくタイランドに照準あわせて 現地から労働者を呼び寄せる作戦が始まった。 というものの、実際に第一陣を送り込んできたのは中国の原料供給メーカーだった。 これがちょうど1989年天安門事件のこと。 まじめなワーカーが数人来て一生懸命水産加工技術を学んで 彼らからしたら「びっくりするほど」給料もらって 当時中国の人件費どんだけ安かったんだと感じるけど)もっと働きますモードに入ってたんだが政治の事情でやむを得ず帰国となってしまった。 【食品衛生法違反事件】 そうこうしているうちに会社に思いがけない大事態が発生。 食品メーカーにとって12月の繁忙期は1年収集の半分を稼ぎ出す繁忙期。 実際そんな商品を12月だけで作り出せるわけはなくて 在庫を積み上げておくしかない。 そんな在庫が最大値になる12月直前に保健所に「違法在庫」の通報が入ったのだった。 いまさら犯人詮索しても仕方ないが半年前に退職した総務部長の仕業らしい(しらんけど) この会社は1配送センターとおいらの担当以外に2製造拠点があって これら即刻営業停止三日の行政処分。 在庫は動かせないし営業停止となって会社としては万事休す。 最後の頼みに綱はおいらの工場。 実は、この事業所ワーカーいなくて生産足りてなかったのね汗 も一つ理由があって ナラちゃんが保健所さんと仲良かったんだ。 彼らもしょっちゅう遊びに来てときどきお土産持って帰らせてたの。 で、「ほかの保健所の手前があるから営業停止かけるけど、いつならいい?」 こんな下打ち合わせができる関係があったんだ。 そんなわけで他工場の応援人員送り込んで生産対応した結果ギリギリ お客様に迷惑かけずに済んだのだった。 以下 続く
・メデイカルフーズ事業部 / 社内 代表取締役 1995年5月 〜 2004年5月
新規事業(高齢者食材)たちあげ 1995年1月17日午前5時45分 その日 ナラちゃんは まだ自宅で布団の中だった。 家がごとんと動いたような気配。 その次の瞬間布団が飛び上がったような衝撃がはじった。 おもわず子供たちが寝てる二段ベッドに目が行く。 ベッドのつなぎ目が動いてる。いかん、外れる。 そう思った瞬間揺れは収まった。 震災の詳しい描写はこのコーナーの目的にあらず。 ただ、燃える神戸の街を呆然とみながら いままで馬車馬みたいに働いてきた中小水産加工メーカーにも 「次の時代」 を考えるきっかけとなった。 「これから高齢社会がくるらしい。高齢者の食材を開発する」 社長以下、高齢社会の意味とかなんにも分からないまま プロジェクトだけはスタートすることに。 こんなとき、まず引っ張り出されるのがナラちゃんなのね。 そもそも高齢者向け食材とは? この定義からスタートすることになった。 令和の今なら「えんげ食」とか「ユニバーサルフード」とか コンセプトが確立しているが実はこんなもの全部おいらが食品業界に持ち込んだのね。 この世界の主役は栄養士と言われていたんだけど もともとわが社は料亭やレストラン向けメーカーです。 前章で高級スモークサーモンのハナシしたので関心ある方は見てください。 ちょうど「料理の鉄人」なんて番組がフィーバーしてたこともあった。 「キミのところの食材使ったらうちの病院でも料亭みたいな献立出せるの?」 ここで大活躍するのが震災で就職先なくなった新卒女子トモちゃん。 大学恩師から「いい子いるからなんとしても取れ!」なんて言われて採用したんだけど 最初、会社からめちゃ批判された。大学閥の情実人事だ。なんてね。 そりゃ新規採用してないのに勝手に採用したんだから。 でも半年しないうちに評価は爆上がり。 管理栄養士の資格ある上にお花もお茶もできるんだから。所作が切れてるって 訪問先の病院で電話かかってくるんだもん。 パンフレット作製にあたって、挨拶に行かせた料理研究家S女史。 その場で電話入って「この仕事お受けします。この子 気に入った」 とも子はs女史に仕事のハナシせずに、とも子自身の思いをかたんだって。 ワタシは土日ずっと病院で過ごしてました。父が入院してたからでです。 そんな病院で 腎臓病の食事制限受けてる子供たちが一般病棟に忍び込んで残飯あさるところを何度も見かけました。 ワタシが栄養士になったのはこの光景が忘れられなくて。 この子たちに安全でおいしい食材を用意してあげるためにこの会社に入りました。 このとも子と一緒に過ごした五年間はナラちゃんの一生で一番輝く時代だったな。 この時代、営業的には全然成功してないけどね。 毎日 事務所にいるときはトモさんとふたり。電話の前にちょこなんと座って 「今日は二件しか電話なかったね」こんな感じ。 よその部署からは「駆け落ちチーム」とか言われてたらしいけど。 ぞれでも、えんげ障碍者に食べさせてはいけない、と書かれてたすり身(練り製品)でえんげ適正ある食材の開発にも成功。病院給食教科書から禁止除外勝ち取ったし。 とはいえ営業的に軌道に乗ったのはこのチームが交替してからになった。 ブルーオーシャン事業ってどこに島があるのか? 大陸があるのか?地図がないからわからないんだよ。 今のこのプロジェクトは会社の大黒柱に成長して営業的に大成功。 ちょっと脱線するけど ある日ナラちゃん東京出張してました。 金曜日の最終のひかり。 缶ビールなんてめったに飲まないのにこの日は一本空けちゃった。 取り出したケータイで留守番のとも子にワンコール。 「ともちゃん どうしてるん?」 「やだ、ナラちゃん酔っ払い?」くらいの声が返ってくるかと思いきや 「もしもし」って男の声。 「はあ、間違えて電話したみたいです。すみません」 酔いもさめてかけなおし。 二回目のコールは応答なし。 次の月曜 「あれどういうこと?」 とも子の返事は わたし知らないですよ。 だって。 結局彼女はまもなく結婚理由に退職。 ならちゃんはショックから立ち直れず 2年たって中国へ飛ばされた。
・栄成成真食品有限公司 / 取締役営業部長 2004年5月 〜 2010年10月
中国国内での日本式食材の販路開拓 北京、上海 チンタオなど主要都市部の食品販売商社への営業開拓。 販売員へのOJT展開。 今度は中国で新たな企画が立ち上がった。 山東省で独立会社が立ち上がって日本式食材(さつま揚げとかなると巻など)を作るというのである。 マネジャーとして 社員ではない香港女性を抜擢。 香港人には中国国内の事情がわからんのでコトバのわかるナラちゃんを応援に出すという次第。 もう会社が決めたことなので行くしかなかった。 だいたい 我々水産業者が行くところって海辺の辺鄙な拠点なわけ。 今回も 石島という名前からしてなーんもないところだと行く前から予想できた。 そしてその予想はあたった。 しかし 3か月もすると 「あれ」」と思うような出来事が。 朝、家の前に見慣れぬ中型バスがとまっている。 どうも夜通し走ってきた様子。だって上海付近のプレートなんだから。 しかも乗ってるお客は全員女性。 こんなバスが週に3回くらいやってくるのだ。 しばらくして事情が判明。 長距離出張の女性たちは 地方公務員の奥さん連中。 旦那に代わって新たにできる分譲マンションんの購入が目的だったのだ。 地域随一のホテルにはモデルルームみたいな模型が展示されて 日本でいう「完売御礼」みたいなプラカードもかかった。 一方、我々にとって生命線の漁獲資源は年年先細りの一方だと現場で気づく有様。 かてて加えて 韓国と中国が漁獲資源保護のため 6月から10月まで全面休漁(封海)まで始まってしまった。 新会社は 路頭に迷うか新路線開拓するか?二択を迫られて ナラちゃんは迷わず新規開拓を選択。 北京だ上海のスーパーに納品している日系食品商社に営業をかけるようになった。 当時日本は撤退したが中国ではカルフールが最大手のスーパーだった。 しかし支払い条件厳しくて取引できる相手ではない。 現金払ってくれないと商品送れないんだから。 わが社は日本食材でも練り製品だったけどお漬物メーカーの女性オーナーがいたんだが 彼女と会うたびにぼやくこと。 月一回の支払いのたびに飛行機のって上海に飛んで請求稟議に各マネジャーのサインをもらうんだそうだ。 カンタンにはサインもらえなくて横向いたり 急に忙しそうにする各マネジャー5-6人にサインさせるのにいつも三日かかるんだって。 その間の滞在費まで当然ながらこちらもち。 それでもなぜ 有名どころに納品しているのか、というなら 地方のバイヤーが商品見に来るんだって。 いわばショウケース機能のため。 そして地方のバイヤーはそれこそトラック一台分2トン3トンのの注文くれるからね。 この場合、全部現金見てから(口座入金)発送なので みんな生きていけてたんだ。 やっぱ中国スケールでかいよ。 で、ナラちゃんは自社の商品を上海そごう や北京ヨーカドー そしてチンタオのイオンに営業かけてたんだ。 店舗マネジャー(たいてい日本人)がいて 「この商品、売り方わからないから指導してください」とか いう話になってナラちゃんが店頭で実演販売して見せる。 すると売れる(日本人が売ってるんだから)。 現地スタッフにも売り方指導を任されるのだが スジのいいスタッフ(たいていマネキン)をよその現場から引き抜いてきて 売らせてみる。 ほめてやったら一所懸命仕事してくるもんだ。 現場のスタッフに伝える販売テク。 カンタンなモノを編み出したので披露しましょう。 商品(たとえばなると巻)をマネキンさんにりょう手に持たせる。 お客が前を通ったらお客の胸めがけて「はい」と差し出す。 お客はびっくりしながらも受け取ってしまう。 これで10人のうち5人は買います(笑) とはいえ、中国の高度成長期にチンタオという現場で後のなかまとしりあえた経験はおおきいものがありました。 【チンプンカンプン編に続く】
・一般社団法人日本観光立国推進協会 / 代表理事 2015年1月 〜 現在
日本の産業構造変化(工業国から観光国さらにはダイバーシテイ)を見据えて 語学教育からインバウンド事業を推進する立場で語学講座・観光ガイド育成。 中国人投資家などのコンシェルジュ。
東京農業大学 農学部栄養学科 / 学士 / 1980年4月 〜 1983年3月