五月人形
江戸の元禄時代まで五月人形を飾る習慣はなかった。鎌倉前期までは邪気や障りを払う為にやぶさめ(流鏑馬)儀式をした。走る馬の上から弓を的に当てる儀式だ。家では菖蒲を飾り、薬草の勉強会などをしていたらしい。端午の節句は子どもに限らず家族の厄除けの大事な日。旧暦の五月五日に菖蒲湯に入るのもこの時期。農家ではこのあたりで田植えを終わらせたりするので田植えの意味がある。日本の四季の儀式は全て田植えから起こされている。旧暦の5月5日頃は田んぼにはヒルやダニ、毒虫などが泥の中に潜んでいるので、菖蒲の香りで寄り付かないように念じたものだった。あと、田んぼの泥の香りを勝負のすがすがしい香りで打ち消していたのかもしれない。五月人形を飾りだしたのは江戸の元禄時代。足軽などの失業対策と身分の低い旗本の副業で五月人形は製造されていき、本来の邪気払いの意味を失った。こういう意味のないものを飾るとか飾らないとか・・・・・私の家は5月5日は汗ばんで、蚊に刺されやすくなり始めるのでユーカリブレンドのアロマ風呂に入っていたのだが母親が、「それでも武家の末裔か」と五月人形を息子に贈ろうとする。私はいらないし、送るなら嫁側の父から送られて夫側は旗指物だろうと。「うるさい」と。そこでバトルをして事のあらましを告げても「五月人形だ」とうるさい。来たそばから封もあけずに中古買取に来てもらってもって行ってもらった。だって本来の意味と違うから。小売価格で20万くらいして家紋のシールが付いていたがシールは捨てた。この20万円の五月人形未使用は買取価格が5千円だった。狭い家にこんなもの飾るよりはない方がまし。こうやって、学校のお勉強
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