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死ぬことが隣り合わせだったから…

※「死」に恐怖を感じる方は、閲読をお控えください。 離婚して子供と2人の生活だった当時の私は、いつも死の恐怖に怯えていました。 ちょうどコロナが流行り始めた頃で、テレビを付ければ今日は何人亡くなったとの報道が… また、事故、事件、災害、ネガティブなニュースを目にしては「他人事ではない」と感じていました。 いつ、誰が、どのような形で亡くなってもおかしくないのだと。私がもし明日死んだらどうしよう。 この子はどうなっちゃうの? せめて自分の力で生きていけるようになるまでは守りたいのに、自分にそれができる保証はどこにもなかった。 子供の事ばかり考えちゃうけど、自分の人生の事も考えなくちゃ。 明日死ぬかもしれないから、 毎日を大事に生きたい。 もっと自分らしく本気で生きたい。 もっと心豊かに生きたい。「自分らしく」「心豊かに」ってどういう事? それを本気になって考えました。 必死に考えてやっと見えてきた自分の道。 人はいつどうなるかわからない事を受け入れる事 自分の人生に本気を出す事 今日は、これを両立するために私がしてきた事始めた事をお話しします。 ・元夫との関係を続ける ・お金の管理に本気を出す ・生命保険を見直す ・雇用という働き方をやめてみる ・HSP、心理学について学ぶ ・心療内科に行ってみる・発達障害の検査を受けてみる ・カウンセリングを受けたり、交流会に行って人脈をつくる努力をする ・ライティングを学ぶ ・SNSを始める カウンセラーをやっていく以上は、「学ぶ」「人と関わる」「発信する」 この3つは続けていかなければならない事だと思っています。 これが完全にストップした場合
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恐怖と猜疑の心は知らないからこそ湧き出るもの、知れば消えるもの

皆様、こんにちは。 夏の風が吹き抜けて、秋の風がもう吹き始めたのが気になっています。 厳しい修行を積んだ僧侶でさえ死の恐怖に怯えて過ごす人が多いのですが、なぜそこまで恐れるのかが不明です。 死はいずれ誰にでも訪れるもの、それなのに永遠に避けられるもの、向き合うべきものではないというのがそもそも間違いではないのかな?と考えています。 終わりがあるからこそ次がある。 次があるからこそ生を謳歌し、懸命に生きる事ができるというのに、それをなくしたいとするのは不可能なものです。 知らないからこそ恐怖するというのなら、死の先にあるものを話せる範囲でお話しすることが霊能者の仕事でありカウンセラーとしての自分のやるべきことかな?と考えています。 今日の余計な一言:恐怖と猜疑の心は知らないからこそ湧き出るもの、知れば消えるもの。
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【教養としての読書】パスカル「パンセ」②

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