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自分の本質と繋がるためには〇〇を大切にすること

感情とは自分自身を表現するための大切な機能です。 感情とは自分は何が好きで、何を大切にし、何を見ると幸せな気持ちになり、他人から何をしてもらうと嬉しいのか、というような、自分は何であるかを理解するための大切な機能と考えると良いでしょう。私自身もまた以前は、自分の中に感情があるのはめんどくさいと思っていました。 感情があるから今この瞬間に相手に対して嫌な態度をとってしまう…と悩んだこともありました。しかし、個性を知ろうとするには感情に沿って生きれば良いという中で個性の中心部にあるのが「自分の本質」と「魂の喜び」なのです。 自分自身の感情を大切にすることによって、自然と自分の本質につながっていけるのです。 それは自分の魂の喜びと役割や使命と呼ばれるあなただけの人生を生きるための大切なセンサーとなっているからです。 感情は1つの感情を抑圧すると、実はいくつかの感情も同時に抑圧され麻痺していくようになっています。 ですから感情とは磁石のように極性のあるエネルギーでもあるので、1つの感情を抑圧するとそれと対極にある感情も一緒に抑圧されて麻痺してしまうようになっています。 「怒り」の対極にある「情熱」。 「悲しみ」の対極にある「愛」。 感情の抑圧はポジティブな感情も同時に消えていってしまうようになっているのです。 例えば、"今の生活に喜びや楽しさが感じられない"という場合、感情の抑圧と麻痺をいくつか起こしていると言うことになります。 これは自分の中にある男性性と女性性の問題も含んでくることとも言えますがこのお話はまた改めてしていきたいと思います。感情を感じられなくなると、人生の方向性を見出
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【 気持ちを無視する訓練をしてきた大人たちへ 】

私の幼少期から小学生の頃はとにかく落ち着きがない子供でした。いつも通信簿には決まって『落ち着きがない』と書かれていました。時には先生の横に、黒板の前にドーンとみんなの方に向かって座る席を用意されることも。。。エネルギーに満ち溢れていた子供でした(笑)。今から思えば。。。全面的にのびのびと!と言うわけでもないのですがそれなりに好きなように生きていたように思います。それが中学を境に自分の身近な生活の中に大きな争いや対立、差、比較、いじめなどが存在することをはっきりと知り(それまでは子供の心でいたようで、物心がつくのが遅かったようにも思います)不良と呼ばれるような、信じられないような悪さをする人が現れたりしてその頃から間違いなく自分は「人との分離感を強く感じる世界」に突入したように思います。それまでは、みんな友達、みんな仲間、みんな一緒みたいな感覚がどこかにあったのですがそのわずかな感覚すら途絶えて、皆「個々に生きる分離した存在」として生活している。そこに当初はとてもとても強い違和感を感じたことを覚えています。その頃からは先生の言うことに従って規則を守るべきだとか、人間のルール!?をいろいろと学びました。そうして本来の、のびのびとした生命力を押さえ込んでくる圧力を受けはしましたが元々の性質が性質でしたから、どだい言うことを聞くのが無理で先輩の言うことは聞きたくないとかいろいろドロップアウトもありつつ生きてきました。今でも、「自由に生きてますね!」などと言われることが多いですけど本人は至ってそんな認識は薄くスキあらばもっと、のびのびいきたいと思っていて今よりももっともっと「自分らしく生
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