絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む
有料ブログの投稿方法はこちら

すべてのカテゴリ

5 件中 1 - 5 件表示
カバー画像

【高い霊的意識で歩む】

日常的スピリチュアル、安田です。 高い霊的意識で歩むためには 意識力の強化が必要です。 意識力というのは 意識したいことを 意図的に意識する力なのですが 意識したいことを 学び続けることで 意識力を身につけることができ 強化させることができます。 学びというのは 知らないことを 知るために学ぶのと できないことを できるようにするために 学ぶのです。 できないこと できそうもないことを 学ぶのは苦しいことなのですが 苦しくても学び続けることで 意識の転換ができ 意識力を身につけることが できるようになります。 そして この世の私たちの意識は 霊的世界にも連結されていきます。 霊的世界は 思いの世界なので 私たちの意識が 分かるのです。 この世の人同士では 口や態度に出さなければ ごまかすことができますが 霊的世界ではごまかせないのです。 なので、この世で 心霊を安定させる 訓練をしていかないと 霊的世界で自分の不安定さに 振り回されてしまうのです。 高い意識で歩むためには 意識が高くなる学びが必要なのです。 意識が低くなる 情報ばかりを入れながら 意識を高くすることは できないのです。 意図的に意識を上げていくには 意図的に高い意識になる 学びをしていくことが必要なのです。 この世の私たちの意識次第で 基準が高い霊人を引き寄せることもできるし 基準が低い霊人を 引き寄せてしまうのです。 引き寄せの法則を 霊的な観点から見た場合 同じ基準の霊人を 引き寄せているということです。 この世の私たちは 時間、空間の制限はありますが
0
カバー画像

【視野の広さと運の良さは正比例する】

安田です。 私たちの視野というのは 限りなく大きくすることができ 逆に限りなく小さくすることもできます。 視野の広さというのは 現実の環境に関係なく 広くすることもできるし 狭くすることもできるのです。 限りなく広い視野というのは 何不自由ない環境の中でも 全てのことを考えられる 思考のことをいいます。 大抵の人は 自分の満足度以上のことは 考えられなくなってしまうのです。 つまり 満たされてしまうと そこに居心地の良さを 感じてしまい それ以上のことを 考えることができなくなります。 視野が限りなく広い人は 究極の理想が実現するまでは 満足ができないのです。 視野の広さと運の良さというのは 正比例していきます。 運が良いというのは 単に何かの願いが叶うとか 導かれるという次元だけではなく より大きな次元の中で 導かれていることを感じることが 運の良さなのです。 視野は意図的に 広くすることができるので 運の良さも意図的に 良くすることができます。 運の良さというのは 勝手に感じることなのです。 現実の環境がどうであるかではなく 運が良いと感じていれば 運が良くなっているのです。 視野が広くなればなるほど それだけ可能性も大きくなるので 同時に運も良くなります。 「運」という字は 「運ぶ」ということなので 意図的に運ぶことが できるのです。 今の時代の 私たちに必要なのは 勝手な思い込みなのです。 心理的な自由というのは 自由に、勝手に思い込めることなのです。 同じ時代に生きていても 同じような環境の中でも 広い視野で見
0
カバー画像

【見る力を極める】

安田です。 見る力というのは 意識をする力のことをいいます。 人が見たものが 存在するのであって 誰も見ていないものは 存在していないのです。 誰かが見ることで 存在できるのですが 見る視点を極めることで 見る視点をコントロールすることが できるようになります。 万物の霊長と言われている人間は 全てのモノと霊的につながっています。 つながっていなければ 万物を用いることは できないのです。 見る力を極めることで 全てがつながっていて 一つになっていることを 感じることができるのです。 見る力を極めていくには 意識力が必要なのですが 意識力は知識を学び続けることで 身につけることができます。 私たちの歩みのほとんどは 無意識の基準で歩んでいます。 その無意識の基準が高ければ 高い基準で歩めるのですが 基準が低いと 流されるような 歩みになってしまうのです。 意識力というのは 無意識では 意識したくないことなので 意識に負荷がかかります。 意識の筋トレのようなので 非常に苦しくなるのですが 意識力を極めた先に 無意識にできるように なるのです。 意識するべきことは 必要なことで できないこと できそうもことを 意識していくことで 意識力を強化させることができ 見る力を極めることができます。 私たちの無意識の視野は 非常に狭いのです。 その視野の狭さによって 集中することができるのですが 集中も広い視野から 集中していくことで より投入した歩みが できるようになります。 全てがつながっていて 全てが一つという境地から 目の
0
カバー画像

【アフター時代の格差】

安田です。 アフター時代の格差は 多くのモノを持っているか いないかの格差ではなく 学びの格差で 二極化されていきます。 つまり 学んでいるか 学んでいないかの 格差であるので ごく普通の環境であれば 格差を埋めることができるし 誰にでも チャンスがあります。 今やいくらでも 学ぶことができる 環境が整っています。 いくら学んでも 学び切れないほどの 知識や情報が 大洪水のごとく 溢れています。 現代人の悩みは どう学んだらいいのか 何を学んだらいいのかが 分からないのと 決められないことなのですが 自分の直感を基準に 学んでいけばいいのです。 何を学んでも 無駄にはならないし 無駄と感じるのであれば 学びをやめればいいのです。 効率よく、効果的に 学ぼうとしても 学んだことを 活かすことはできません。 学んだことを 実行に移せないのは 知らないから 実行できないのでなく 転換されていないので 実行ができないのです。 意識の転換 価値観の転換 感情の転換が できていないので 学んだことを 活かせないのです。 私たちの学びは 知っていることを 増やしていくだけではなく 転換するために 学んでいるのです。 学び続けることで 意識が転換されて 価値観の軸が 転換されて 無意識の境地が 転換されていくのです。 この転換が アフター時代の 格差になっていきます。 多くのことを学べば それだけ転換しやすくなり アフター時代の波動に 合わせることができます。 とくに 身動きが取れないような時期は 学びの時期が与えられている
0
カバー画像

【自己責任の範囲】

安田です。 今は自分で決めて 自分で実行して 自己責任を 全うする時代ですが 全てのことが 自己責任ではありません。 自己責任というのは コントロールができる 範囲のことをいいます。 コントロールができない どうにもできないことは 自己責任ではありません。 例えば 育ってきた環境 受けてきた教育は 自分では どうにもできません。 どうにもできなかったことを 自己責任にしてしまうと 自分を責めてしまい 心理的に窮屈に なってしまうのです。 かといって 今さら誰かのせいにしても どうにもできないのです。 どうにもできないことは 宙に浮かせておけばいいのです。 宙に浮かせるというのは 曖昧なのですが 曖昧な記憶にすることで 誰のせいでも、責任でもない 記憶にすることができます。 私たちは、良いか悪いかを ハッキリさせたがるのですが 決着をつけない意識が必要なのです。 決着をつけてしまうと 自分が悪い、自分の責任に してしまうか 他の誰かが悪い、誰かのせいに してしまうのです。 私たちの記憶は 時間が経つことで 曖昧になっていきます。 その曖昧さを 味方にすれば 過去の記憶を 都合が良いように 解釈することができます。 今の現実の環境も 自分ではどうにもできません。 このどうにもできないことを 自己責任にしてしまうと より身動きが取れなくなります。 コントロールができないこと 予想ができないことは 自己責任の範囲ではないのです。 今まで努力が できなかったのであれば 今からでも 努力を始めればいいのです。 努力をするか しな
0
5 件中 1 - 5
有料ブログの投稿方法はこちら