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「他人の意見を受け入れられない」と気づいたとき

自分は寛容で、どんな人の意見でも受け入れられると思っていた。 でもそれは勘違いだったようだ。 今は、それを正直に認めよう。 私はそんなに出来た人間ではない。 自分の提案が否定されれば、まるで自分自身が否定されたような気分になる。だから相手の意見を受け入れず、意見ばかりか相手そのものも否定しようとした。 相手はそこまで考えて言っていないのに・・・。 「私の意見は否定された」「私は嫌われた」「私は大したことないと思われている」。そして「あの人は間違っている」「あの人も大した人じゃない」などと、相手を否定し始めていた。 意見交換、話し合いという行動の裏で、様々な感情が蠢いていた。「意見の違い」「様々な考え方」という理性的な言葉を忘れて、感情ばかりが暴走する。 このとき理性の脳は感情に支配されていた。 私はその程度の人間だ。 そんな時はどうしようか? まずは、自分はそんなもんだとあきらめること。自分を明らかにすることにした。そして、「バカにされてもいいや」と開き直ることにした。 それでも、また同じことを繰り返している。 でも、最近少しづつ変わってきたようだ。 自分の感情に気づき始めた。 意見の否定=私の否定、になってイライラしていた。 そして、何度も繰り返す「自分の感情のクセ」にも気づき始めた。「自分がどう思われているか」「いつも一番でありたい」という思いのクセがあった。 直そうとしたが、すぐには直らない。 「直す」とは素直に自分の過去を反省することで、言葉で書けば分るがなかなか行動できない。だから「直す」ではなく、「新しく始める」ことにした。 こんな新しい行動を心がけてみた。 ・「自
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顧客体験コミュニティ community letter 210905

顧客体験コミュニティオンラインサロンで公開された community letterをお送りします。「考えてみると世間の大部分の人は、悪くなることを奨励しているように思う。 悪くならなければ社会に成功しないものと信じているらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊ちゃんだの小僧などと難癖をつけて軽蔑する」 (夏目漱石 「坊ちゃん」より) 奨励しているとは大袈裟な気がするが、案外思い当たる節がある。 職場で事件が起きると急に張り切る人がいる。ここぞとばかりに目がキラキラする。 台風の前も同じようなことが起こる。 「台風がくるというと、昔はどうしてあんなに張り切ったのであろう。」 と脚本家の向田邦子さんが幼い日の思い出を書いている。 「祖母や母が気追い込み、台所と廊下を行ったりきたりする。父親は背広にニッカーボッカー姿で懐中電灯の電池を確かめる。家族の光景が懐かしい。」 そして 「兄弟げんかも、夫婦げんかも、母と祖母のちょっとした気まずさも、台風の夜だけは休戦となった。一家をあげて固まっていた。そこがひどく嬉しかった。父も母も、みな生き生きしていた」と懐かしんでいる。 大きな災害や事件が起きると、今の小さな災いや悩みが小さく感じられることがある。しかしこの小さな悩みは消えたわけではない。誤魔化していただけだ。でも時には誤魔化しも必要。ピンと張りつめた糸は少しの衝撃で切れてしまう。ゆっくり行きましょう。 さて、今月はこんなライフスキルに取り組んでみます。 ■「何でも一番になる」をやめた時、仕事がもっと楽しくなるお店の業務は多様、種々雑多です。接客も分ければ、家族連れ、年配客、学生グ
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