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ハンディキャップ

自らが背負っている「ハンディキャップ」を 重荷と感じ、ネガティブに感じてしまうことは、 普通なのかもしれません。 でも、 「ハンディキャップ」を重荷と感じるのではなく、 「個性」と思うことができたならば、 あなたは、どのように変わることができるでしょうか。 「ハンディキャップ」は重荷ではありません。 あなたにしかない。あなたにしか持てない「個性」なのです。 その「個性」を、 「生かすも殺すも」 あなたしだい。 「個性」は、自らを認め、受け入れることができた時、 その、本当の力を発揮するのです。 だから、「ハンディキャップ」=「重荷」としないでください。 「ハンディキャップ」=「個性」→「無限の可能性を秘めている」 という連鎖の「カギ」なのですから。
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言い訳でいいわけ?−セルフ・ハンディキャッピング(続き)

また、セルフ・ハンティキャッピングは予言などを信じる時にも働くことがあります。 悪い予言をする人がよくいますよね。 一般に予言や占いは悪いことのほうが受け入れられ易い傾向があります。 たとえば、大地震の予言はよく聞きますし、真に受ける人が多いようです。 これはセルフ・ハンティキャッピングによって悪いことが実際に起きた時のショックを最小限に食い止め、「自分には分かっていた」と考えて自尊心を守る心理が働くからだそうです。 地震なんて大げさなものでなくても、普段のちょっとしたことでもわざと悪い予想を口にする人がよくいます。 そして、実際に悪い結果に終わると初めから分かっていたよと云うんです(いわゆる後知恵ですね)。 私にも覚えがあります。 昔、パリで部屋を借りる時に、いい物件を見つけたのですが、一応、大家のOKを貰ったにも関わらず、ひょっとしたら駄目かも知れないと友人には言っていました。 そしたら本当に駄目になって、友人には予感が当たったと自慢しましたが、これも今考える悪い予想をしておいて、駄目になった時に備えていたんでしょう。 また、何かをする前にどうせ駄目だからといったり、やる気がないような振りをする人もいます。 恋愛の場合でもよくありますよね(珍しく占い師らしいことを書きます)。 例えば、女性の片思いの場合に、相手にもう彼女がいると勝手に決め付けてやけによそよそしくしてしまったり、興味がないという態度を取ってしまったりする。 また、自分には他の男性がいるようなことを言ってしまうなんてことですね。 これも失敗を恐れてセルフ・ハンティキャッピングに逃げてしまい、かえって失敗するパタ
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言い訳でいいわけ?−セルフ・ハンディキャッピング

今日は「セルフ・ハンディキャッピング」の話をします。この言葉はあまり耳慣れないと思いますが、説明を聞けば多分ほとんどの方が思い当たるところがあると思います。「セルフ・ハンディキャッピング」とは、「人は他者からよい評価を受ける確信がない場合や、人尊心が損なわれることが予測できる場合には、自分の能力発揮を妨害するハンディキャップがあることを他者に主張したり(主張的セルフ・ハンディキャッピング)、自らハンディキャップを作り出す行為を取る(獲得的セルフ・ハンディキャッピング)」ことです。  たとえば、大事な試験の前にゲーム興じたり、テレビを見たりすることですね(獲得的セルフ・ハンディキャッピング)。これは試験勉強から逃避しているだけではなくて、自分に不利な行動を取ることによって、実際に失敗した時の言い訳を「失敗する前」に用意しているわけです。これでたとえ失敗してもそれはハンディのせいであり、自分の能力が低かったせいではないと考えることができます。だから自尊心が痛みませんし、成功すればハンディにも関わらず成功したことで、自尊心を高揚させることができます。また、セルフ・ハンディキャッピングには、実際に行動を取らないで、ハンディがあることを他人に吹聴するだけの場合があります(主張的セルフ・ハンディキャッピング)。試験当日にクラスメイトや仲間に実際は勉強したのに「昨日遊んじゃった」などと言うことがよくありますよね。ただ、こうした「言い訳」を聞かされる方はよく分かっていますので、好意的には取られず、またかと思われるだけです。上にも書いたように、誰にでも多かれ少なかれセルフ・ハンディキャッピング的
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耳の聞こえない彼は、自分を幸せな猫だ🐱と言った。

友人宅でホームパーティーをした時のこと。友達のTちゃんが連れて来た2人の友達がいたのだけれど、二人とも耳が聞こえなかった。(Tちゃんは手話ができる。)一人は、聞こえなくても、声でしゃべることが出来て、もう一人は声ではしゃべらなかった。それでも人が話してる口を読めるから、私たちが何を言っているかは大体わかるよ。とのことだった。ただ、しゃべれる方の彼が自己紹介で「僕は幸せな猫です🐱」と言ったのは正直驚いた(゚ω゚)私の中のどこかで障害がある=かわいそうと思っていたのかもしれない。それなのに、ハンディキャップを背負った彼が自分で自分を幸せな猫♡と表現したことに驚いたんだと思う。うん、ハンディキャップがあったって、いっぱい幸せを感じることができるよね❗️ハンディキャップがある=不幸にはならない❗️ハンディキャップがあっても幸せに生きている彼を見て、そんな当たり前のことを教えられた✨何だか温かい気分になった❤️自分が幸せって言えるって素敵だね💕だから、私は普通に彼らに話しかけたし、わからなければ書けば良いし、普通にコミュニケーションを取れた。耳が聞こえないって、言葉がわからない海外に行ったのに似てる。って思った。言葉がわからなくても、伝えたい”想い”があれば、ジェスチャーでも何でも伝えることが出来たりするんだ。そんな風に感じながら、私は彼らとたくさんコミニュケーションを取った✨後にTちゃんに会った時、彼らが私のことを「(健常者で、)あんなに気さくに自分たちに接してくれる人は今までいなかった。」と喜んでいたよ。と教えてくれた✨障害があったって同じ人。変に意識する必要はないんじゃないかな?私
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同じことがあらゆる物事に当てはまる?!

これは何かを成し遂げようとする時世間、親しい人から、あるいは自分自身からも、感情的な摩擦が起こるそれは自然現象のようなものしかし、意識して向き合ってないと揺さぶられ、結果プレッシャーで撃沈摩擦が起こることは興味関心がある裏返し自分からの摩擦=不安それだけ可能性を秘めている日本は潜在的に凄いもの(力を秘めている)を持っていると言われていますこのコロナ禍のオリンピック開催ありえない無観客試合リスクとハンディキャップ何かを始める前の摩擦はネガティブに捉えることなく冷静に「ま、こういうこともあるよね」と受け止めて始めてみるとなんてことなかったり。。。がんばれ日本〜〜〜🇯🇵
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