耳の聞こえない彼は、自分を幸せな猫だ🐱と言った。

記事
コラム
友人宅でホームパーティーをした時のこと。

友達のTちゃんが連れて来た2人の友達がいたのだけれど、
二人とも耳が聞こえなかった。
(Tちゃんは手話ができる。)

一人は、聞こえなくても、声でしゃべることが出来て、
もう一人は声ではしゃべらなかった。

それでも人が話してる口を読めるから、
私たちが何を言っているかは大体わかるよ。
とのことだった。

ただ、しゃべれる方の彼が自己紹介で

「僕は幸せな猫です🐱」

と言ったのは正直驚いた(゚ω゚)

私の中のどこかで
障害がある=かわいそう

と思っていたのかもしれない。

それなのに、
ハンディキャップを背負った彼が自分で自分を
幸せな猫♡
と表現したことに驚いたんだと思う。

うん、ハンディキャップがあったって、
いっぱい幸せを感じることができるよね❗️

ハンディキャップがある=不幸

にはならない❗️

ハンディキャップがあっても
幸せに生きている彼を見て、

そんな当たり前のことを
教えられた✨

何だか温かい気分になった❤️
自分が幸せって言えるって素敵だね💕

だから、私は普通に彼らに話しかけたし、
わからなければ書けば良いし、
普通にコミュニケーションを取れた。

耳が聞こえないって、
言葉がわからない海外に行ったのに似てる。
って思った。

言葉がわからなくても、
伝えたい”想い”があれば、
ジェスチャーでも何でも伝えることが出来たりするんだ。

そんな風に感じながら、
私は彼らとたくさんコミニュケーションを取った✨

後にTちゃんに会った時、
彼らが私のことを
「(健常者で、)
あんなに気さくに自分たちに接してくれる人は今までいなかった。」
と喜んでいたよ。と教えてくれた✨

障害があったって同じ人。
変に意識する必要はないんじゃないかな?

私がフレンドリーに接したことを喜んでくれたのは
嬉しいけれど、

私はただ普通に接しただけなのに、
普段は他の人からどんな態度を取られているのか
ちょっと心配になったりもした。

Tちゃんも実は軽度の耳の障害がある。
補聴器を付ければ普通に聞こえるレベルみたいで、
私は全然彼女の障害に気がつかなかった。

なんで手話できるんだろ?
くらいに思っていたよ。


今はセクシャルマイノリティーとかも
多種多様な世の中で、
ロンドンに8年住んでいた私は、

セクシャルマイノリティーや人種や宗教の違いにも
随分、寛容でフラットな方だと思っている。

それでもまだどこかで偏っている部分はあるのかもしれない。

以前イギリスのテレビ番組に
パラリンピックの選手が出ていて、

彼女は片腕がなかったのだけれど、

地下鉄に乗った時、
目の前に座った子供が、

「ママ〜、あの人腕がないよ!」

と言ったらしい。
するとそのママは、

「静かにしなさい。見ちゃダメ!」

と言ったらしい。

その選手は、
見ちゃダメ!って言われる方が悲しい。
と言っていた。

子供が、あの人腕がないよ!

と言ったら、ただ
「そうだね。腕がないね。」

それでいい。

って。

見ちゃダメ。
とか、そういう言葉はいらないよね。


障害や他者との違いに苦しんでいる人もいる。

偏見を持たなければいい。

これからの世の中がもっと
誰にとっても生きやすい世の中に
なっていったらいいな。

と願っている✨









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