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よく衝突する人

私には最近よく衝突する人がいました。最初は仲良く会話をしているのに、いつのまにかお互い嫌な気分になり、ギクシャクしたままその場を離れるということが何回かありました。今回はその流れをまとめました。1回目の衝突1回目の衝突は、自分がアドバイスをしたことがきっかけでした。なので自分がしたアドバイスを疑いました。もしかしてそのアドバイスは相手のしてきたことを丸ごと否定するものではなかっただろうか。その時相手は自分のアドバイスを受け入れる状態だっただろうか。(体調がすぐれなかったり、感情的ではなかっただろうか)2回目の衝突2回目のお衝突は、私の言い方がきっかけでした。気を悪くするような言い回しをしてしまったようです、次は言葉のチョイスを慎重にしようと思います。3回目の衝突3回目の衝突も、自分がしたアドバイスがきっかけでした。相手を否定するような内容は避けました、言葉選びも間違っていなかったとおもいます。なので、アドバイス自体が求められていないのではないかと思いました。次は求められない限りアドバイスは自重します。4回目の衝突またしても、自分のアドバイスがきっかけです。しかし今回は求められたのでアドバイスをしました、相手を否定するような内容は避けました、 言葉も慎重に選びました、かなり気をつかったと思います。すると内容が伝わらず、逆に相手をいらつかせる結果になってしまいました。5回目の衝突今回もアドバイスを求められたことで、衝突しました。これまでの経緯から私は沈黙を選びました。話すこと自体がリスクを感じるようになったからです。「答えは沈黙」 と言わんばかりに、相手の話を聞くことに専念したとこ
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判断をしない

以前、反応しない練習の感想をアップしたことがあります。 その中で、見逃しがちなことがありました。 それは、判断しないということです。 仏陀は、分からないことは判断しないということを解きました。 作者は、現代人は、ああでもないこうでもないと、判断しがちであるということを述べていました。 私は、ちょっとよく理解できなかったのですが、判断をすると優越感に浸れるというような内容が記載されていました。 確かに、判断すると、こころのもやもやになっていたことが解決できます。 それによって、こころのもやもやに終止符をうてるということもあるかもしれません。 私のドラムの投稿については、これに当たるかもしれません。 しかし、一度、判断すると、その判断に対して、あらたなもやもやがわいてくる場合があります。 例えば、同僚が「それはあり得ないんじゃない?」というようなことを言ったとしましょう。 あり得ないということは、意味がどのようにも取れますし、それ自体に、なにか直接的にどうしろという意見でもありません。 しかし、自分に対する批判であるととらえ、そう判断したとします。 するとあの同僚は私に批判的だという新たなもやもやが生じてきます。 これは、分からないことについて判断してことにより、新たなもやもやが生じた例です。 この場合、最初の同僚の「それはあり得ないんじゃない?」に対して、判断しないことにより、のちに生じるもやもやを封じることができるのです。 全てのことについて、判断しないことは得策ではないかもしれません。 しかし、判断することによって新たなもやもや生じるならば、選択的に判断しないという手法もアリ
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