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「上級国民の雨傘」

【社会の厳しさ】 7歳の小学1年生の時 1クラス42人もいて全部で7組まであり 学校の校舎だけで全学年収まりきらず 6年生が仮設のプレハブ校舎にいた 一応学校を1.5倍広くするための 増築工事が始まっていたけど 今年いっぱいかかってしまう様で 6年生が卒業した後の完成予定だった 6年生は全部で5組まであり 全員プレハブ校舎で勉強してて 夏は暑く冬は極寒の場所らしく もう勉強どころじゃない気がする ヒィー(゚ロ゚ノ)ノ 6年生がプレハブ校舎に移ったのは 我々1年生の入学人数が多すぎて 急遽学校の増築が決まり完成するまで 急増のプレハブに追いやられたから この時俺はやっぱこういう貧乏くじは 年上の人が犠牲になってこうむる事で 世の中の秩序が成り立ってんだと解り 初めてこれが社会の厳さだと知った アワワワワ(((゚д゚; )))ワワワワッ それに今までこんなに子供が多くなく 当時住んでた三郷団地の小学校は 立花小学校1つで団地の端の子は 自転車で15分くらいかけて通ってた 当時の三郷団地は関東で1番大きな 兄弟団地だからもし端から端まで 子供の足で歩くと1時間以上かかり 俺も広すぎて1部しか行った事がない 〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓 【新小学校】 俺は新しい校舎が徐々にできるのを 毎日見続けてるとだんだん新校舎の 新しい教室が気になって見たくなり こっそり工事現場をのぞきに行った すると教室らしき部屋が見当たらず 理科室っぽい所や図書室っぽい所や 畳が敷かれた部屋等があったから 不思議に感じてしまう てっきり俺は全教室に収まらず 6年生をプレハブに追いやった分を 新しい校舎に
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「ご機嫌銭湯」

【銭湯通い】 10歳のとき東京で築50年の家を買い 1人暮らしのおばあちゃんと 一緒に住む事になったので 転校してきた。 しかしこの時 まだお風呂場が完成してなくて しばらくのあいだ銭湯通いになり 毎日お風呂入る事が面倒になった 最初の内は 銭湯に滅多に行った事ないから ワクワクして嬉しかったけど しばらくすると慣れて普通になる + (o゚・∀・) + ワクワク + この銭湯には 40℃の熱湯風呂と普通のお湯と 泡風呂の3種類が楽しめて 当時とても珍しい銭湯だった。 しかし熱湯風呂は 熱すぎて入る事が出来ず 一緒に行ってた父親だけが 好き好んで入ってた。 そして泡風呂は 俺の背じゃ足がつかな程深くて 腰掛の所で立ちながら入る事になり ゆっくり入浴できない。 なので俺は いつも普通のお湯にだけつかり しかも温まるのが苦手だったから すぐにお風呂から出てしまった。 ι(´Д`υ)アツィー 〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓 【番台さん】 銭湯から出ると いつもビンの牛乳を買ってくれて 俺と弟が飲んでる間に父親が マッサージチェアーで揺れてた (*´-∀-)フフフッ この頃のお風呂は まだ男女風呂兼用受付の 番台さんのおばあちゃんが いつも男女風呂の真ん中にいた。 ここでお金を払って 木の板に切り目が付いた ロッカーのカギをもらって そこに脱いだ洋服を入れる。 洋服を脱いでるとたまに 若い女性がズケズケと入ってきて 堂々と男湯の脱衣所を掃除し始め 当時それが普通の光景だった。 そして銭湯から出ると 母親が毎日出てくるのが遅く 父親がいつも外でタバコ吸いながら 15分くらい待たされてた
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自叙伝「それでも、生きてる(幼少期~小学校期)」全三十一話

第一話 「拾われた子供」 「ママお金ある?」 貧乏な家に生まれた私は、小さい頃どうしても欲しい物がある時に、母にいつもこうお伺いを立てていた。 その度に、母に言われた。 「金欲しいんだったらオマエの親父に言え」 私の父親は、物心がつく頃には既にいなかった。一、二歳の時に、母の腕に抱かれ、父親が車で去ってくのを見送った様な、そんな映像がわずかながら記憶に残っている。母は私を抱きながら、何かを言っていた。何を言っていたのかは覚えていないが、声のトーンと表情で、この人は怖いことを言っていると思った。母と父の間に何があったのか詳しくは知らないし知りたくもないが、当時の母は相当私の父親を憎んでいたと思う。その憎しみは、当然私にぶつけられた。 「オマエの親父は…オマエの親父は…」と、事あるごとに私に言ってきた。今で言うなら立派な精神的虐待だ。母にそう言われても、小さかった私にはどうしようもなく、見たことのない父親の悪口を延々と聞かされるのだった。 当時私は、母と、七つ上の兄と、ぼろい平屋の貸家に三人で住んでいた。いや、三人で住んでいたのかが曖昧な程、三人での記憶がほとんどない。唯一、家の前で兄と遊んでいた時に撮ったであろう写真が記憶に残っているが、それも今となってはどこかにいってしまった。それほど、当時の兄との思い出は無い。7つも歳が離れていれば当然なのだろう。ただ、写真の中の私と兄は、ピースサインをして、最高の笑顔をしていた。 そんな兄と私は、父親が違う。このことを理解したのはいつなのだろう。わからないが、いつの間にか知っていた。私が母に聞いたのか、母が自ら話してきたのか、どうりで七つも
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「新人蜃気楼」

【初登校】10歳の時三郷団地から東京の荒川区に引っ越してきた。転校初日新しい学校に向かう時母親も一緒についてきて何だか恥ずかしかった。大勢の子達が登校する中俺とおめかしした母親と一緒に歩いて学校に行き道中入学式みたいで注目される。しかし俺はこんな恥ずかしいのは今日だけだと思って我慢して耐えてた。そして職員室に行き担任の「成田」先生に挨拶をし母親が帰って行く。( ´ー`)フゥー...この時俺は緊張しっぱなしで足が震えもう家に帰りたい。その後成田先生に教室に案内されて自己紹介をする事になった。アワワワワ(((゚д゚; )))ワワワワッ〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓【名前負け】そして俺は成田先生と一緒に教室に入り緊張で半ベソになってしまった。(ノД`)・゜・。俺は教卓に立たされて自分の名前を言って黒板に名前を書かされた。黒板に名前を書くと成田先生が「難しい漢字なんだな」と言いビックリしてた。(◎_◎;)黒板に書いた名前の「穣」と言う漢字を見て先生が「これでユタカと読むなんて初めて知ったよ」と言う。成田先生が言うには「穣ってゆずるとかジョーとかそういう風に読むと思ってた」そう言われてしまった。するとクラスの子達がジョーと言う言葉に反応して「名前負けしてるだろ!」と言われ笑われてしまう。どうやらクラスの子達は顔が真っ赤で半ベソの俺じゃジョーなんてカッコ良い名前似合わなすぎと感じたみたいだ。〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓【あだ名】その後席につくと成田先生が「ジョーて名前の方がかっこ良いよ」と言ってくる。するとクラスの子達も「名前とキャラのギャップが面白いからジョーにしよう」
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転校ではない、転向して新しい未来を描こう

学校を転校してくる子供たちの中には後ろめたさを感じてしまう人も多くいます。・転校した自分はダメなんだ…・転校して親に迷惑をかけた…・自分は何も出来ないんだ…・恥ずかしい…もし、そう思われている方や親御さんにはぜひ転校ではなく、転向することなんだと捉えてみてはどうでしょうか?実は中々訪れる事が無い新しい未来に乗り換えられる機会が巡ってきた。大きなチャンスでもあります。私が見てきた転向した子ども達・いじめられて自信喪失をしていた生徒が転向して、友達と楽しく自分の夢を語っている・一切、学校に通えなかった生徒が転向して、第1志望の国公立大学に通っている・自傷行為をしてしまっていた生徒が転向して、後輩や悩んでいる人達の相談や支援をしているこのように転向している生徒を多く見てきました。ただし、学校が変わったから全員がそうなる訳ではありません。転向は家族だけでするのは難しいです。共通して転校先の学校の仕組みを第3者(友達や先生)と一緒に少しずつ向きを変えていくことが大事です。もちろん学校を変えずに転向される方もいます。学校の先生は一人ではありません。担任の先生と合わない…のであれば他の先生に頼ることもおススメします。これも大切な転向です。もし、悩まれている方がこちらのブログを見られていたら今の未来から転向へチャレンジをしてみませんか?まずは第1歩、相談をする勇気です。一人やご家族だけで苦しむ必要はありません。直接、新しい学校を見に行ける方は行ってみましょう。おススメは3校くらいに絞ってから行かれると良いでしょう。今の学校で他の先生に相談が出来る環境があれば相談をされてみて下さい。ただ、どうし
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