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再び結婚について:男性と女性の結婚観

昨日に引き続き「結婚」を取り上げます。 結婚は、女性にとっては「新しい関係」の始まりであり、男性にとっては「性愛関係の一つの帰結」であるといわれています。 つまり、男性は性愛関係を所有として捉える傾向があるということです。 そして、「この女を手に入れるまで、いろいろサービスしたり、我慢して大変だったが、もうこの女は自分の所有物になったから、これ以上無駄なサービスは止めよう」と考えます。 これが、女性が結婚後に懸命に夫婦関係のメンテナンスに励むのに対して、男性はこのメンテナンスを怠る理由です。                                               その上、前にも書いたように、男性はより多くの子孫を残すとの本能に従い、できるだけ沢山の女性とセックスしようとして、浮気に走ります。 そして、何をいいだんすんだと怒られるかもしれませんが、進化論に見ても、歴史を照らし合わせても、一夫多妻は非常に合理的な制度といえるでしょう。 現在、少なくとも日本では、家族は基本的に一夫一妻制ですが、過去には複数の女性と子どもたちを養うだけの財力があれば、一夫多妻も認められたことがあります。 もちろん、これは進化論における女性の最適戦略に反するので、現代ではイスラム教国等の一部の社会を除けば、受け入れられません。 とはいえ、今後、出生率が低下し、貧富の差が拡大しつつある社会においては、この一夫一妻制も変更を余儀なくされるかも知れません。 とここまで書いていると、昔、アルジェリアで一緒に働いてた若者の言葉をなんとなく思い出しました。 「処女の女性と結婚したいが、金がないか
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女を捨てる最低の男:「舞姫」より

またしても、少々ショッキングなタイトルですが、今日の文章は、一昨日の「インテリ達のとんでもない女性蔑視」に関連しています。 最近、読んだ本に森鴎外の「舞姫」が取り上げられていました。 有名な小説ですからほとんどの方は少なくとも題名は聞いたことがあると思いますが、ストーリーは知らないんじゃないかな。 以下、簡単に要約します。 ドイツ留学した若い日本人エリートが現地で美しい踊り子と知り合い、同棲します。 そのため、彼は一旦免官となりますが、ある有力者の後押しで出世コースに戻ることができます。 妊娠したエリスを捨てることを条件に。 その後エリスは発狂。 どうです、最低の男でしょう。 小説の話だろうと思うかも知れませんが、鴎外の実体験がベースになっているんですね。 ただし、エリスの妊娠や発狂の部分は創作で、実際には鴎外は恋人を日本まで連れ帰っています。 しかし、鴎外は母を始め、周辺の人々に反対され、彼女を祖国へ帰してしまったとのことです。 やっぱり最低だ。 ところで、この舞姫の話を外国で俺は女を泣かせたもんだといった自慢話と見る人がいるようです。 なるほどねえ。 そうともいえないことはないかな。 ところで、ある英文学者で早大名誉教授の男性が、その著書で「女に惚れて苦しむというのは、つまらんことで、女に惚れさせてのち、これを捨てるのが恋の快味である」と述べています。 ううむ、本気か? 早大名誉教授ともあろう人がこの発言。 しかも、英文学者のくせに言葉の使い方が無神経すぎる。 女性を捨てるってなんですか。 別れることはあっても、捨てるって、モノじゃないんですから。 まあ、俺ってすごくもてた
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インテリ達のとんでもない女性蔑視

今朝、「もてない男」(小谷野敦)という本を読んでいると、昨日の「俺様男のとんでもルール!」の男優ーの考え方を思い起こさせることが書いてありました。 ううむ、シンクロシニティかな。 それはいいとして、何が書いてあったかというと、昔の男性のそれもかなりインテリとされる人たちの強姦についての考え方です。 まず、山口昌男氏(東京外国語大学名誉教授)は、1975年に某女子大大学院のお別れコンパで起きた女子学生強姦事件について、加害者である二人の教授を擁護し、訴えた女子学生に罵詈雑言を浴びせています。 「強姦という文学的行為をしてくれた人物(大学教授)への憎しみから、告訴という破壊行為に走るようでは、大学院で文学をやる価値など全く無い。 憎しみだけで二教授の文学的業績を葬ろうというのは・・・最低だし、そもそも二教授の文学的業績を認めていなかったことになり、やっぱり大学院での勉学は無駄だったのだ・・・満26歳、数え年で27か28のオールドミスの貞操が、二教授の社会的生命及び学問的業績及びその家族の生活をおびやかすほど価値があるものなのかどうか」 なんと、強姦を「文学的行為」と表現。 その上、満26歳の被害者をオールドミスと呼び、その貞操など取るに足らないものだと断じ、二教授の社会的生命や学問的業績、その家族の生活のためには強姦ぐらい我慢しろとのたまう。 ちょっと信じられないような意見ですね。 こんな人間が教育者・文化人類学者で、文化功労者、思想家、そして、東京外国語大学の名誉教授だった。 しかし、学生たちに何を教えていたのかなあ。 そして、作家の筒井康隆氏も、この事件に関して、以下のように述
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【正義の定義は立ち位置で変わる】

 森喜朗JOC会長の、「女性がたくさん  入っている理事会は時間がかかる」など  と女性蔑視とも取れる発言や、二階俊博  自民党幹事長の、「どうしても辞めたい  なら新たなボランティアを募集する」と  いうボランティア軽視とも取れる発言が  世間を騒がせているのは誠に遺憾である。 ────────────────────  二階氏の発言については、私が所属する  あるボランティア団体でも抗議声明文を  発表する事態に発展しており、今朝から   会員に向け、その件で何通ものメールが  発信されてきている。各界の著名人達も、  各種媒体で「一体ボランティアを何だと  思っているのか」「ボランティアの人達  の気持ちを考えてない」等の怒りの声を  上げている。私もこれらの一連の動きに  ついて「基本的には」賛成の構えである。 ────────────────────  「全面的に」ではなく「基本的には」の  理由は、今回のタイトル「正義の定義は  立ち位置で変わる」にある。この日本の  お偉方が国民に寄り添わないということ、  それは、過去に私自身も弱者として救済  されなかった経験により身に沁みている。 ────────────────────  弱者が救済の求めに応じてもらえない時、  今回のように蔑視される発言があった時、  当然、誰でもその不満や怒りを口にする。  私だってそうだ。だが、女性蔑視発言は  論外として、「どうしても辞めたいなら  新たなボランティアを募集する」という  発言については、確かに抗議・非難等の  誹りは免れないが、相手の立場に立って  考えてみると、
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