その悩みの背景には日本の教育がある??
「こうあるべき」「こうすべき」など、社会で生きていく上で私たちが自然と縛られてしまっているものってありますよね。年を重ねれば重ねるほど、その縛りがきつくなっているような気さえします。
そして、いつしか「こうあるべき」「こうすべき」にとらわれていることすら気づかない自分がいたりします。
本来全然違う個性を持った人々が互いに理解しあい共存することはほぼ不可能に近いと思います。だからこそ、「こうあるべき」「こうすべき」という一定の不文律を持ってある意味強制的に統制を図ることは、ある程度価値のあることかもしれません。
しかし、「個性を伸ばす」という意味では「こうあるべき」「こうすべき」という縛りは、出来る限り排除できた方が望ましいと思いますし、同じように感じている方は多いのではないでしょうか?
ただ、実際にその呪縛から逃れようとすると本当に難しいことに気付きます。一度その呪縛から逃れられれば一気に「突き抜けられる」のに、なかなかそうはいかなくて悩んでしまっている方は多いですよね。
では、そもそも、そういった呪縛はどこからやってきたのでしょうか?
私は、学校教育が大きな原因になっているように思います。
私自身「学校の勉強は全然役に立たなかった」という愚痴を聞くことはよくあるのですが、社会で生きているほとんどの人が学校教育の影響を強く受けているように感じます。
例えば、「授業中は静かにする」「先生の教えを受けて学ぶ」「暗記中心」「考えることは大事」などなど、体に染みついた習慣に心当たりはありませんか?
また「嫌々でもやらないといけないことはやる」ということが良いことだと感じたりしていません
0