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人生が停滞してる時、喪失感や苦しい状況から抜け出す方法

人生が停滞していると感じている時、それはとても苦しい状況だと思います漠然としたモヤモヤだけが残っていて、ゴールがなく走れない状態。自分が何をしたいのか?やりたいことが分からない。ただ、なんとなく生きている。やる気やパワーが出てこない。情熱的になれるものがない。無気力感に苛まれる。などゴールが見えないマラソンを走るほど苦痛なことはありません。そういう時は我慢をせず、自分の欲求に従いましょう。休みたい時は休む。食べたいものを食べる。自分の好きなものを買う。旅行に出かける。友達とお話する。自分の心を満たすことから始めていきましょう。それでも、なかなか動きようがない時ってありますよね。例えば、仕事が残業続きで休みがなかったり。経済面的にお金が使えなかったり。お金と時間が無くて「そんなこと出来ない」と思われる方もいらっしゃるかなと思います。そんな時はどんな小さいことだって、どんな大きいことだってよいのでやりたいことリストを作ってみましょう。過去書いたものではなく、今の自分がやりたいと思うこと。多ければ多い方がよいので、出来れば100個ほどあげてみましょう。なんでもよいです。コンビニの新しいスイーツを食べるでもよし。一日中寝るでもよし。行きたかったお店に行くでもよし。書き出して、お金と時間がかからないものから一つずつ取りかかりましょう。自分の心が求めていることを素直に、自分の心をまず満たす。少しずつ自分が満たされていくと心に余裕ができます。やりたいことリストを一つずつ叶えていくと、それが成功体験となり自分に自信がついてきます。今は出来ないこともあるかもしれません。でも、やっていく内に出来る
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苦しみで生きるか喜びで生きるか

わたし達が生きる二元性の世界では生き方が二つに分かれます。それは苦しみで生きるか喜びで生きるかです。苦しみで生きる生き方は仏教で言うところのカルマになるようです。思考(自我)によって良いか悪いかを四六時中監視して最終的にこのままじゃダメだとなんとかしようとするのがカルマに乗った生き方です。逆に喜びで生きる生き方はダルマと言われてるようです。生きている実感を味わたい本当のわたし(真我)にとってはどちらの道でも目的を達成しているのでどちらでも良いのでしょうけどこうやって聞くとわたし達(自我)は当然、苦しみより喜びを選択したくなります(^▽^;)ではどうすればいいか?これも結局のところ思考(自我)を観察していかにカルマに乗っからないかしかありません。つまりは四六時中流れる思考(自我)の声を観察し、スルーしていかに瞑想状態でいられるかです。瞑想なくしてカルマからは逃れらません。唯一無二の方法なき方法です。そしてカルマの影響を受けなくなればなるほどダルマ(喜び)の生き方に自然になっていくのです。
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苦しみから抜け出すために今日から始めること

なんとなく感じる苦しみから抜け出すためにどんなことをすれば良いのか?ということを結論から言ってしまうと、「人を喜ばせること」につきます。人を喜ばせることと聞くと何か特別なことをしなければいけないんじゃないか?と感じる方もいるかもしれませんが、全然そういうことでもないんですね。自分自身が毎日楽しく幸せにゴキゲンで生きる!というだけで、あなたが周りに与えているものはものすごく大きなものとなっていきます。自分の手の届く範囲にいる人たちに、今の自分が出来る範囲で喜びを与えていくということが、苦しみから抜け出し、自分自身の幸せに繋がっていきます!何かの参考にでもなれば幸いです。動画はこちら
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その悩みの背景には日本の教育がある??

「こうあるべき」「こうすべき」など、社会で生きていく上で私たちが自然と縛られてしまっているものってありますよね。年を重ねれば重ねるほど、その縛りがきつくなっているような気さえします。 そして、いつしか「こうあるべき」「こうすべき」にとらわれていることすら気づかない自分がいたりします。 本来全然違う個性を持った人々が互いに理解しあい共存することはほぼ不可能に近いと思います。だからこそ、「こうあるべき」「こうすべき」という一定の不文律を持ってある意味強制的に統制を図ることは、ある程度価値のあることかもしれません。 しかし、「個性を伸ばす」という意味では「こうあるべき」「こうすべき」という縛りは、出来る限り排除できた方が望ましいと思いますし、同じように感じている方は多いのではないでしょうか? ただ、実際にその呪縛から逃れようとすると本当に難しいことに気付きます。一度その呪縛から逃れられれば一気に「突き抜けられる」のに、なかなかそうはいかなくて悩んでしまっている方は多いですよね。 では、そもそも、そういった呪縛はどこからやってきたのでしょうか? 私は、学校教育が大きな原因になっているように思います。 私自身「学校の勉強は全然役に立たなかった」という愚痴を聞くことはよくあるのですが、社会で生きているほとんどの人が学校教育の影響を強く受けているように感じます。 例えば、「授業中は静かにする」「先生の教えを受けて学ぶ」「暗記中心」「考えることは大事」などなど、体に染みついた習慣に心当たりはありませんか? また「嫌々でもやらないといけないことはやる」ということが良いことだと感じたりしていません
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