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身体の可能性をダンスから知る

こんにちは。総合デザイン事務所ポリライン 加藤空武です。今日は「身体表現の話」前回の「風の話」の補足を含めて。自分と身体表現との出会いは、学生時代、名古屋時代の主に2つ。学生時代学生時代は8年生の森先輩という方がいて、デザイン学科の映像コースみたいなとこにいて、最初会うまでに何度も何度もニアミスして、学内で展示する機会で初めて会った。同級生からは、8年生の先輩なのですごい貫禄あるよ、と言いうくらいの噂で、とっても変な人だよと。大学には変な人いっぱいいるし、人前で緊張なんてしない性格なので、最初会ったときはどんなモノ作ってるの?みたいな話をした気がする。そこから、「身体表現」という言葉を教えてもらった。人の頭は、「動く」という意思の元「動いてる」のか、「動いてる」様に頭が「動いてる」と認識するのか、そんな話から始まったような。当時漠然とシュルレアリスム、ダダイズムをかじり考えていたこともあり、話は膨らんだ。(意識だとか無意識だとか、その辺で)認識には「言語」や「意味」を与えるものがあるが、「身体表現」とはそうした言語になりきれない、意味づけされない可能性を感じた。例えば、バットを持って飛んでくる球に当てれば「打つ」という意味づけができるのだとする。バットを持って片足を上げる、バットの重みを感じそれにつられるように地面に崩れる。こうした動きに意味はつけれるのだろうか。何か単語を与えられるだろうか?それを即興でやる、と先輩はつづける。即興というキーワードはダダにおける「ハプニング」が合致して、その有様はありのままの現実に何か傷をつけるようなおぞましさと、行為の愉快さや皮肉さなんかにあ
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ピアノとヴァイオリン

小さな頃から中学生くらいまでピアノとヴァイオリンを習っていました。ピアノは好きだったけどヴァイオリンは苦手でした。もう楽器を触らなくなってとても長い時間が過ぎてしまったけど動画サイトでクラシック音楽を聴いていたら無性に楽器を触りたくなりました。なかなか、ただ生きること以外のことに気持ちが向かなかったの何年も急かしい時間を過ごしてしまって。自己表現、表現活動をしたい欲求は身心にしみついてはいるのでなんとか生活の端々に自分なりの自己表現を散りばめて誤魔化して何とか過ごしてきたのだけど舞台に立っていた頃の活きていた感じ楽器を触っている時間絵を描いていた時間とか退屈な日々に ときめき があった事を思い出してしまいました。今すぐに何か始めるだけの余力が無い自分だけど今こうやって文章で自分の事や日々の出来事感じた事、気づきなんかを残していけることに感謝です。これを読んでくれているあなたにもありがとうと言いたいな。
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