身体の可能性をダンスから知る

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コラム
こんにちは。
総合デザイン事務所ポリライン 
加藤空武です。

今日は「身体表現の話」
前回の「風の話」の補足を含めて。

自分と身体表現との出会いは、学生時代、名古屋時代の主に2つ。

学生時代

学生時代は8年生の森先輩という方がいて、デザイン学科の映像コースみたいなとこにいて、最初会うまでに何度も何度もニアミスして、学内で展示する機会で初めて会った。

同級生からは、8年生の先輩なのですごい貫禄あるよ、と言いうくらいの噂で、とっても変な人だよと。

大学には変な人いっぱいいるし、人前で緊張なんてしない性格なので、最初会ったときはどんなモノ作ってるの?みたいな話をした気がする。

そこから、「身体表現」という言葉を教えてもらった。

人の頭は、「動く」という意思の元「動いてる」のか、「動いてる」様に頭が「動いてる」と認識するのか、そんな話から始まったような。

当時漠然とシュルレアリスム、ダダイズムをかじり考えていたこともあり、話は膨らんだ。(意識だとか無意識だとか、その辺で)

認識には「言語」や「意味」を与えるものがあるが、「身体表現」とはそうした言語になりきれない、意味づけされない可能性を感じた。

例えば、バットを持って飛んでくる球に当てれば「打つ」という意味づけができるのだとする。

バットを持って片足を上げる、バットの重みを感じそれにつられるように地面に崩れる。こうした動きに意味はつけれるのだろうか。何か単語を与えられるだろうか?

それを即興でやる、と先輩はつづける。

即興というキーワードはダダにおける「ハプニング」が合致して、その有様はありのままの現実に何か傷をつけるようなおぞましさと、行為の愉快さや皮肉さなんかにある気もする。

即興ということには、もう一つもう二度とは起こらないことを約束してしまう。再現性はなく、科学一般への抗いにも捉えられる。

その先輩の作品
ノイズのザラザラにいつの間にか溶け込んでいくような不思議な作品。

ハプニングといえば
ハイレッドセンターだよなあということで、
ちなみに現代的に言えば「フラッシュモブ」もこの流れなんだと感じ。


そんとき教えてもらった人がこの人
ちょうど黒岩先生の名前もあったのでこれで。
大学時代、哲学の授業で扱ってたピナバウシェも掲載しておく。
だんだん頭が…てところで
名古屋編にうつる。

名古屋時代

名古屋時代は少しはしょっていうと、大事な知り合いからの紹介で即興舞踊や絵を描いてる子に出会う。当時、即興で何でもやっちゃうグループを構えており、即興音楽、即興朗読、ときて即興舞踊をしてる子だった。

その子のダンスのワークショップがあるときき、訪ねた。
某国立大学のここは?みたいなとこに連れて行かれて、10人もいない中で、静謐な音楽が流れる。準備体操、身体のほぐしをした後、基本的な身体の動かし方を習う。例えば、海にいるときあなたはどんな動きをしますか?体で表現してみてください。とド直球の禅問答より難しい話が飛び込む。

体をくにゃくにゃと動かし「海藻!」という人、
素早く動き回り「小魚!」という人。
当たり前の回答から
蹲み込んで徐々に動く「海に沈み込んだ感情」なんて
もう、やってくうちに内部に内部から出てくる答えを体で表現していた。

その子から、帰り際かいつかにインスピレーションの話をしたときに、その子のインスピレーションは「自然」という話をした。道理で農学部。

なるほどなあと思いながら、その子の発表をみに行った時は、耳を通して感じるもの、皮膚を通すもの、目を通すもの、そうして色んな感じるものを思うように動かし自然に答えているようだった。そうすると、自然は何かしらの反応を示してるようだった。

ちなみにこんな子。
こうしていくうちに、身体表現の奥ゆかしさを知るのでした。


今は「身体性」という大きなキーワードをもとに、現在は
メタバースに代表されるヴァーチャル空間を探っています。

時々、踊りたくなるような時もあるよね。
それに意味はなくても、どこか自然や街、ものといった
人以外を会話できるかもね。

ではまた〜
今回かなり身内やアートの話でした。
ここまでお読みいただき誠にありがとうございました!
なんか物足りなさは、他の記事で補足できれば。

余裕ある人はこちらもどうぞ。最近聞けてなかったのですがこの話題でしたので。




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加藤 空武









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