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「昭和歌謡曲スペシャル~♪(18)」

「昭和」じゃ。ボクも昭和生まれじゃ。最新の「ジャパン・ポップス」もよく聴くけど、やはり「昭和男」は「昭和30年代/40年代」とかの「ジャパンヒットソング」をたま~に聴きたくなるのじゃ。家は純粋な「貧乏ハウス」であったぞよ。何せア~タ!「長屋(ながや)」じゃ。名前の通りで、「なが~い貸家」じゃ。「貧乏人」の「オアシス」じゃ。家賃は7百円くらいじゃったと思う。「安っ!」ねぇ~♪^^映画でいえば「3丁目の夕日」の雰囲気じゃ。「西岸良平」の世界じゃ。ほとんどが貧乏人じゃったけど、何か将来に「明るさ?」が、キラキラきらめいていた時代じゃ。家電も、昭和30年代初期ごろに「3種の神器」といわれた「白黒テレビ/冷蔵庫/洗濯機」が、昭和30年代後半位になると「3種の神器」も「カラーテレビ/クーラー/自家用車」というかなり「ハイクラス?」な生活用品等になってきたのじゃ。そういえば~、ボクの家も昭和30年代といえば、まだ「近くの川」に皆が「洗濯板」と「洗濯のり」等を持参して、仲良く「洗い物」をしていたのをボクは「幼児」ではあったけど、なぜか「よ~く」覚えているのじゃ。何でじゃろ?場所は「広島」の「呉市」という結構有名な地名の場所じゃった。もう、今では、そんな「河川」は、整備されて跡形もないけどね~。昔は、夏でも冬でも「洗濯機」がナイので、みんな「手洗い」じゃ。今では、考えられないぜよ。でもなぜかとても暖かい時代じゃった。なんでじゃろか?「荒っぽい」時代でもあったけど、とても「オープン」な?時代でもあったよ~な気がするぜよ。「神戸児童殺傷事件」やら「ドラム缶詰め女子高生殺害事件」だの「地下鉄サリン事件
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子ども会

夏休みになると私たち小学生は地域ごとに一軒の家に集まって午前中を過ごしました。昭和30年代のことです。休みに入る前に、その地区の担当の先生と子どもたちとで日程やら過ごし方やらの計画を立てるのです。親はいっさいタッチしません。なぜ?だってそれは当然でしょう、子供会なのですから。先生方が休みに入るお盆までの間に確か10日間ぐらい集まったと思います。集まって何をしたかというとうんざりするほどあった宿題算数のドリルや夏休み帳などを持ってきてそれらをやるのですよ。図画や工作もやりました。もちろん子どもだけですからペチャペチャ話をしたり、プロレスごっこをしたりして遊ぶことの方が多かったのですが、そこはそれ上級生を中心とした秩序がちゃんとあってサボったり、勝手に帰ったり収拾がつかなくなったりなんてことはありませんでした。次回に続きます。
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