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証券版「半沢直樹」1996年夏の回顧録②

この内容は別サイトに掲載したものを転載したものである。私の提案に乗って下さったお客様は僅か10名ほど・・・ ですが、私にとっては十分な数だった。全てのお客様を完璧にフォローできると確信していたからである。 株式相場は下落の真只中、何も怖くなかった、それより確実にお客様の利益になる取引が出来る、その信念と日々のチャートを描く数は増えて行った。 今の時代ほど、インターネットがあり、欲しいデータは何でも揃う時代ではなく、個別銘柄の日々株価情報を取り出し、仕掛けたい銘柄の1年前まで遡りチャートを描いた。そして、チャートが崩れた(今でいう売りサイン)時点で全てのお客様に連絡をし、翌日の寄り付きで一斉に売りを仕掛ける。 まとまった株数でもあり、それがトリガーとなって下落に拍車がかかる、という事も少なくなかった。 しかし、売りが得意だからと言って買わない事もなかった。それはチャートの忠実に売買したからである。 私の相場は当て続けた。といっても、相場が下がってるんだから、当たり前の事ではあったが・・・ 当時の証券マンは全て手数料収入に換算されていたが、私の手数料収入も月間ノルマの常に3倍を稼いでいた。当時の役職は課長代理であったが、上司の課長、次長ですら、月間ノルマの三分の一にも達しない程度だった 普通のサラリーマンだから成績が上がっても給料は増えない、ボーナスも殆ど変わらない、でも、そんな事はどうでも良かった。この知識と技術さえ、あれば、いつでも、どこでもメシは食えるという自信しかなかったからだ。 カッコ良い言い方をすれば、「顧客第一主義」「顧客満足」 お客様に儲けて頂く
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証券版「半沢直樹」1996年夏の回顧録①

この内容は別サイトに掲載したものを転載したものである。TBSドラマで再び半沢直樹が始まる様だ。このドラマは銀行を舞台にしたストーリーだが、私がかつて勤めていた証券会社で私が体験した事実を書いてみたい。20年以上経過したので、当時の上司も居ない事だろうし・・・ 私は1987年に新卒でとある証券会社に入社した。大手証券会社の内定を蹴るという約束で、当時ではギリギリ採用の9月にワンランク下の証券会社に入社試験もなく入った。 入社後2年間は、当時の主流であった「中期国債ファンド」を集める事。新規開拓として毎日、数百件の訪問をしていた。その実績は確実に表れ、後に表彰されることも有った。 時代はバブルの真只中、新人の私にも株式のお客様も増え、本当に真面目だった私は、入社2年目で、超ビッグな資産家を顧客になってもらった事もあった。家は大きかったが、古くかった。そんなお金持ちとは思わず、気の良いお爺さんだったが、ある日、私が支店に帰ると大騒ぎになっていた。 その顧客(お爺さん)は、四季報にのっている銘柄の個人大株主でもあった方だったのです。早速、支店長案件としてVIP対応となった訳だが、その時のお爺さんが、〇〇さん(私の名前)しか対応しなくて良い、と言って下さったのが今でも印象に残っています。 入社2年目で株の事など全く分かりもせず、推奨銘柄どうするか?など考えていましたが、全く案ずることなく、お爺さんから銘柄指定されデータを持って行くと1週間後には素晴らしい手描きのチャートが出来上がっていました。それを見せられ、注文は全て寄付きで頂いていました。後で分かったのですが、お爺さんは様々
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