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「UAW=全米自動車労組」、時給22000円要求!

アホか?!時給22000円って、もう日給じゃんか!!(^^;;;え~っと、「時給22000X8H=176000円/日」って、ア~タ!そりゃ、もう一日で「月給」じゃ!^^:なんなん???それって、ナンナン???ボクも最初の会社で「労組」というか「青婦協?」とかっていう若い青年たちが「無理やり?」入会させられる組合の青年部?みたいなヤツに入ったよ。あの時代はまだ「民社党」とかっていう会社組織なんかに「票?」を持つ政党があって、ボクの会社もその政党を応援し、「組合活動やレクレーション」等をよくやっていたね~。ヤレヤレ。(^^;ま、たのしい「スキーツアー」とか「スケート大会?」とか「ボーリング大会?」なんかもあったよ~に思うね。だけど、誰も入らないので、ボクは指名されたのじゃ。トホホ・・・(;;ま、ボクのブログで有名な「おじいさん」も大会社の「広島組合長」じゃったね。でも、アメリカの組合って「ユニオン」って呼ばれるけど、ちょい要求し過ぎ?じゃないかい?「戦うユニオン」じゃ!まるで映画「ノーマ・レイ」のサリー・フィールドじゃね。ホホホ^^;日本なんて「じゃ~、今回は、会社と組合でこれっくらいでOKですね?」とかっていう「談合(だんごう)?」というか「調整?」、「お話合い?」というとても「なごやか」で「静か?」な「団体交渉?」が続く。(^^;決して「御用組合?」ではナイ!?「今回のベースアップは、3800円でどうですか?」「いやぁ~、もうちょっと上げてもらわないとねぇ~、マスコミも騒ぎますよ!こんなに売り上げ上がっているし、昨年もベースアップゼロだったしね~。」「じゃ、しゃ~ない!4200
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ランクアップ

2023年 3月17日 金曜日 coconala(ココナラ)シリーズも 今日まで? 今日で一旦 区切りたいと思います。 と言うのも 販売実績が 11件に達しましたので ビジネスを続けて行く上での 基本になると思われるランク B(ブロンズ)認定が 確実になったから。 あとは 運営さんが判断される事です。 私はこのブログをビジネス用に変換する気持ちは無く ホント 日記代わりに使っているので 興味の無い人は 間違い無く 離れて行くでしょうね。 世渡り下手な 私の悪い癖ですか? だって、 面倒臭いんだもの。 面倒な事は 改善! だから、 11件の販売実績の内の 8件は 相互販売実績で 出品者同士で談合? 運営さんが 公に発行・配布している 販売促進用「クーポン」を使ったりして 予め 段取りを話し合っての「相互購入」です。 お話を持ち掛けてみても 罪悪感を持たれているのか? 拒絶される方も 少なからず居らっしゃいます。 正義感だけで 綺麗事だけで勝負していた それは まるで「過去の私自身」 結果の出づらい 結果に届きにくい 結果に対して遠回りする でも、 清く 正しく 美しい行動だと思います。 今の私は 悪魔に魂を売ってでも 許されるルールの範囲の中で ギリギリを狙って生き抜く ずる賢さを手に入れました。 幼少期から 私が嫌っていた「母の生き方」です。 母は 他人を陥れてでも 自分の欲しいモノを 無理矢理に 手に入れてました。 母の手に掛かり 他人が泣いているのを 何度も見て来て 「あんな人間には ならない!」と 心に決めていたのに・・。 まぁ、 母は「世間一般のルール」を飛び越えて 自
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「談合」は、なくならない

今回は、私が会社員として働いていた頃のことを書いてみたいと思います。 私は25歳頃から、建設業界の営業職をしていました。当時は、バブル崩壊後で景気が悪化し、公共工事の数も激減していました。しかし、そんな世の中であっても中小企業の経営は比較的に安定していました。 なぜならば、当時は「談合」によって公共工事の入札が行われ、「値崩れ(ダンピング・極端な低価格)」する業者がいなかったからです。全くいなかったわけではありませんが、ほとんどの業者は「談合」を行っており、工事の受注をしていたのです。「談合」によって、発注者が予定している工事予算(入札予定額)に、ほぼ近似値の金額で業者は落札していたため安定していたのです。 さらに、「談合」によって落札された工事(公共工事)は、落札者から「下請け業者」に工事の発注を行っていました。当然、入札によって落札された金額には余裕がありましたので、「下請け業者」への工事依頼金額も無理のない額で発注していました。そのことによって、「下請け業者」も十分利益を出すことができたわけです。結果、公共工事を受注した業者や下請け業者は、利益を出すことができ、従業員に対しての給与も十分生活ができる額が支払われていました。 建設業界の営業マンや工事従事者は、生活費とともに「遊ぶ金」がありました。私等は、夜な夜な繁華街にくりだし、飲食をして日頃のストレスを発散していました。そのため、当時の飲食業界は収入が見込まれ経営状態も順調でした。 当然、深夜まで「遊んで」いたので、公共の交通機関は終わっています。そこで、タクシーなどを利用して帰宅をするのですが、都心繁華街などで飲食を深
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