「コーチ」って、もともと何のことか知っていますか?
スポーツの先生でも、教える人でもありません。答えは——馬車です。
運がいいと、東京のど真ん中で、本物の馬車に出会うことがあります。二頭立ての本格的なもので、新しく着任した外国の大使が、「この人はたしかに国を代表しています」ということを証明する「信任状」を提出するために、皇居へ向かう馬車です。その馬車のことを、英語で「コーチ」と言います。
コーチングの「コーチ」は、もともとは、馬車のことでした。
今日のテーマは「コーチの語源」です。コーチのことを「教えてくれる人」だと思っていると、コーチングは、ちょっと違っていて「おやっ」と思うかもしれません。でも「馬車」だと思うと、見え方がぐっと変わります。
(以前書いた「『コーチ』の語源について」の続きとして、その考え方をコーチングの実際に引きつけて整理してみます。)
辞書の最初の意味は「馬車」
英語の辞書で「coach」を引くと、1番目の意味に出てくるのは、あの馬車です。2番目に、スポーツなどの「コーチ」、つまり指導する人の意味が出てきます。しかもこの2番目は、1番目の比喩だと書いてあります。
馬車と、指導者。共通点は何でしょうか。「行きたいところに連れて行ってくれる」ことです。今でいえば、タクシーやハイヤー、もっと言うなら「運転手付きの車」でしょうか。
もう少しさかのぼってみましょう。この言葉は、ハンガリーの「コチ(Kocs)」という村の名前が元になっているといわれています。そこで作られた馬車が評判になって、「コチの馬車」と呼ばれたものが、ドイツ語、フランス語を経て、英語に入ってきました。
人を指す意味は、そのあとに生まれました。イギリスのオックスフォード大学で、試験まで「運んでくれる」家庭教師のことを、学生たちが「コーチ」と呼んだ。それが始まりだとされています。スポーツの世界で使われるようになったのは、もっとあとの話です。
つまり「コーチ」という言葉の真ん中には、最初からずっと、「どこかへ運んでくれる」というイメージがあるのです。
2つの「コーチ」像:教え導く人と、行き先へ運ぶ馬車
とはいえ、今「コーチ」と聞くと、まず思い浮かぶのは、テニスやゴルフの先生ではないでしょうか。フォームを直してくれて、戦い方を教えてくれて、練習メニューも決めてくれる。そういうコーチは、その競技で実績のある人であることが多く、受ける側も、それを前提にしています。「教え導いてくれる、すごい人」というイメージです。このスタイルを、ライフコーチングと区別して「パフォーマンスコーチング」と呼ぶことがあります。
一方で、ライフコーチングは、人生全般、どんなテーマでも扱います。キャリアのことも、人間関係のことも、生き方のことも。何でも扱うコーチは、そのテーマのプロだったり、実績があったりするとは限りません。そうなると、教え導くことは、そもそもできないのです。
こんな方がいたとします。AIと壁打ちしてみたけれど、答えが出ない。本も読んだ。人にも聞いた。それでも、なんだかモヤモヤする。「じゃあ、人間のコーチなら、答えを出してくれるんじゃないか」と思って、コーチングを申し込む。
その気持ちは、とてもよくわかります。でも、そこでコーチから返ってくるのは、答えではなく、こういう質問です。「そのモヤモヤは、どうなったら解消した、と言えますか?」。「え、答えは?」となりますよね。
そこで思い出してほしいのが、コーチの元の意味です。馬車は、行き先を決めません。乗る人が言った場所に、連れて行くのです。
馬車で整理する:行き先を決めるのは、乗る人
この馬車のイメージで、コーチングを整理してみます。
行き先を決めるのは、乗る人です。馬車を走らせるのは、御者、つまりコーチです。御者は、道中で「こっちの道もあるけど、どうする?」と提案するかもしれません。そんな時でも、どっちに行くか決めるのは、乗る人です。
以前にも取り上げた、ティーチング、メンタリング、コーチングの違いも、馬車で言うとこうなります。ティーチングは、道を教えてくれる先生。メンタリングは、前を歩いて見せてくれる先輩。そしてコーチングは、行きたい場所まで、乗せて運ぶ馬車です。
ここで、こう思う方もいるかもしれません。「教えない・導かないと言っていたのに、『連れて行く』って、矛盾していませんか?」。でも、そうではありません。「導く」というのは、前を歩いて、引っ張っていくこと。馬車は、先に立って歩きません。乗る人は、告げた行き先へ、ひとりで歩くよりも早く着くことができるだけです。
私自身の経験:「すぐ答えを知りたがる」乗客と、「技を見せたがる」御者
ここで、私自身の話をします。
私は、もともとコーチを受ける側でした。「ルートコーチ」と呼んでいる、元コーチがいます。そのルートコーチに、たびたび、こう言われました。「すぐ答えを知りたがるね」。
コーチングされる側としては、早く答えがほしくなるのは当然といえば当然です。コーチなんだから、答えを知っているんでしょ、と。でも今ふり返ると、馬車に乗っておきながら、行き先は決めずに、「道順を教えてくれ」と言っていたことになります。しかもルートコーチの一言は、いつも謎すぎて、今でも「答え」がわからない言葉が、いくつもあるくらいです。
そして今度は、私がコーチをする側になりました。ルートコーチのような「謎」の質問は、たぶんそんなにしていないと思います。そのかわり、つい、やってしまうことがあります。いろんな技を、披露したくなるのです。ショーケースみたいに。「こんな技もあります」「こんなワークもあります」と。
馬車でたとえると、御者が、自慢の名所ばかり案内して、乗っている人の行き先を、つい忘れてしまっている状態です。乗っている人は、行きたい場所があって乗っているのに、気がつけば、御者おすすめのコースを走っている。時々これを思い出して、反省しています。
乗る側の時は「答えを、すぐ知りたがる」。運ぶ側の時は「技を、見せたがる」。どちらも、肝心の「行き先」が、置き去りになっていたのです。
実例:教える仕事か、デザインの仕事か
別の方の例もご紹介します。オンラインスクールで、デザインを教えている方です。
教える仕事の方なので、「コーチ」と聞くと、まず「教える人」のイメージがありました。「コーチングができれば、生徒とのトラブルも減るよ」と言われて、コーチングを受けてみることにしたそうです。ところが、お話を聞いていくと、悩みは生徒のことだけではありませんでした。このまま教える仕事を続けたいのか、デザインの仕事を続けたいのか。その方向性が、ご自身でも定まっていない。ご本人いわく「悩むのが苦手だから、もう決めてしまいたい」とのことでした。
でも、よく聞くと、どちらか一つを選ぶのは、実は難しいことがわかってきました。デザインの現場感があるから、教える仕事に説得力が出る。デザインの仕事も、手放したくない。
ここで、コーチは「どっちにしますか?」と迫りません。かわりに、「行き先」のほうを聞きます。「どこに向かっていたら、いいなと思えますか?」。
そこで出てきたのは、教える仕事も、デザインも土台にして、自分のサービスを作る、という行き先でした。二択だと思っていたのは、行き先ではなくて、手前の分かれ道だったのです。行き先が決まると、「毎日、2時間はそこに使う」という最初の一歩も、決まりました。行き先を決めたのは、コーチではなく、乗っている、ご本人です。
なお、この時、「教えること」と「コーチングすること」が別物であることも、あわせてご説明しました。教える仕事の方は、教える「ティーチング」以外に、時には道を指し示して導く「メンタリング」も、やっていることが多いものです。でもライフコーチングは、その人自身が望む行き先へ、運ぶ役割。ここが違います。
タクシーに乗ると「どちらまで?」と聞かれて行き先を答えるのと同じで、コーチングでも最初の一歩は、この「どちらまで?」に答えることです。行き先がぼんやりしていても構いません。まずは「たぶん、あっちの方」くらいでも、とりあえず馬車は、出発できます。
セルフコーチングで使うコツ
最後に、この「馬車」の考え方を、セルフコーチングに使うコツを三つご紹介します。一人でやるときは、自分が乗る人で、同時に御者でもあります。
一つ目。まず、「今日は、どこまで行く?」と、自分に聞きます。大きな目的地でなくて構いません。「午前中に、あのメールを一本返す」でも、立派な行き先です。
二つ目。迷ったら、御者の自分は、答えを言いません。「AとBの道、どっちが気になる?」と、道を並べるだけにして、選ぶのは、乗る人の自分に任せます。
三つ目。寄り道は、あり。行き先を変えたくなったら、変えて構いません。乗る人が「やっぱり、あっちに行きたい」と言ったら、馬車は、向きを変えるだけです。
「どこまで行きたいか」を、自分の言葉で言ってみる。それだけで、馬車は動き出します。
おわりに
今日は、「コーチ」の語源、馬車のお話をしました。コーチという言葉の元の意味は、行きたいところに連れて行ってくれるもの。行き先を決めるのは、乗る人で、馬車は、そこまで一緒に走ります。
もし今、モヤモヤして、答えが出ないと感じているなら。答えを探す前に、まず「どこに行きたいんだっけ?」と、ご自身に聞いてみてください。
※文中の事例は、プライバシーに配慮し、典型的なケースをもとに設定を変えて再構成した架空のペルソナです(一部は実際のセッションでの気づきを参考にしています)。特定の個人・会社を指すものではありません。
※語源・年代は、英語の語源辞典(Etymonline など)の記述に基づく要約です。諸説あります。