中村天風先生は明治から昭和にかけて活躍した哲人です。
先生は、とても厳しい方でお弟子さんにも容赦なくズバズバものを言います。
私が心身ともに疲弊している時に、本によって存在をしりました。
すでにご存命ではなく、間接的に知っているという形でした。
ある時、瞑想をしていると、先生が浮かび上がってきました。
当時はわらをもすがる思いで、先生に何とかしてほしいという気持ちが強く、
イメージで出てきてくださった時も、何かメッセージや温かい言葉などを期待しましたが、
先生は、私を落とし穴に突き落としました。
落ちた私は、上を見上げると、先生が立っていました。
そして、
「自分で上がってこい」
と言われました。
ライオンが我が子を鍛えるために
わざと崖から突き落とすようにです。
私からしたら、厳しい、と感じるのは当然で、
人によっては恨む人もでてくるでしょう。
話は変わって、私は今は社会福祉の現場でも相談員をしております。
ある方の相談を受けている時、
「この人は力があるな」と感じました。
この方は、ある支援のメニューを求めていましたが、
彼には「ぬるい」メニューで役には立たないと思いました。
さらに、自分の力を信じ切れずに、勇気がなくて少し逃げている感じもありました。
そこで、私はあえてそのメニューを与えませんでした。
厳しく、接したと相手は思ったかもしれません。
その後、数か月彼自身に任せておくと
彼は自分で動き、自分で社会復帰の道を見つけて獲得していました。
相談員は「支援する」ことばかり考えているが、
本当の支援とは、その人が自立できることだと思います。
私は恨まれたり、同僚や会社の上司からは
むしろ、批判の的になる可能性も十分にありましたし、
実際、他の相談員から不評を買いました。
私の名誉のためにお伝えしておきますが、
フォローの準備もしてあります。しかし、それはおくびにも相手には知らせません。
彼が自分で立つことと、その力があることを認識する必要があったからです。
中村天風先生も私を崖に落とした時、
嫌われるかも、不評かも、
など自分の保身を考えずに
落としたと思います。
しかし、その裏には大きな愛があったのだと思うのです。
むやみにそのような事はなさらない方です。
自分が逆の立場になって、改めて先生の「愛」の深さに気づかされました。
よく人は、「愛とはなんですか?」と問いますが、
私が中村天風先生から教わったことは、
愛とは
与えるものではなく
相手が気づくもの
でした。
本当の愛に気づいたとき、
人を信じることができるでしょう。
最近、下記の動画を見ました。
愛情が欲しい欲しいとは、
実は無意識に
自分は愛されない、世の中、周囲の人は私なんか愛さない
という信念に覆いかぶされています。
でも、実は「愛」は自分から気づくものだと知ったら、
また、少し違った世の中が広がるのではないでしょうか。
この男性は、
家に帰った後、
過ぎ去った人の数を数えるか、
ハグしてくれた人の温もりを感じるか
どちらも自分の選択にゆだねられています。
どちらも自分の人生を豊かにするために必要な事柄。
今は、どちらを選択するかだけのこと
経験を意味あるものにするために
感情とともに経験を味わいましょう。