私は、2人の名付けについて後悔しました。
「五体満足で生まれてくれたのに、名前でこんなに悩むなんて…」
と自分でも、四六時中苦しむだなんて思いもしなかった。悩むこと自体に罪悪感でいっぱいだった。でも、朝起きた瞬間から絶望感が押し寄せ、寝てる間もふと「なんてことをしてしまったんだろう…」といてもたってもいられなくなる。
「世の中には、子どもがほしくてもできない人もいる。」「病気で苦しんでいる人もいる。」
それなのに、目の前ですくすく元気に育っている我が子がいながら、こんな小さなことで思い悩むのがとにかく恥ずかしくて、悩んでいる自分を責め立てる。
なぜこれほどまでに辛いのだろう,,,
いったい名づけで後悔するメカニズムとは何なんだろうと少し考えてみました。
名付けはしんどい、、、
もし名づけを、純粋に親が**「この子はこう育ってほしい」という理想の価値観の上でのみ行った場合は、親にとって非常に幸せな名づけができるのではないか。そこに「外部の承認」が入り込むことで後悔が増幅していくように感じます。
この「外部の承認」には例えば何があるのか考えると、
・親族(パワーバランスで言うと夫も入る場合も)
・ネットも含めた周囲の反応(発音しにくい、聞き取りにくい、他の言葉と混同しやすい、意味がネガティブ、古風すぎる、個性的すぎる、平凡すぎる、時代に合わない等)
・社会的な規範(読めない名前は迷惑など)
・姓名判断
・子どもが大きくなったときにその名前を気に入るか
など、少し考えただけでも要素が多すぎる。
しかも、その人その人によって評価が分かれてくるため、はっきりとした基準がない。(社会的な規範は戸籍法改正もあり、ある程度基準が決まってきているか…姓名判断は、流派が多くどれが本当が分からない)
しかも、「この画数だと突発的な災難や病気にあいやすい」「波乱の人生になる」「改名したほうがよい」といった恐ろしい言葉や、「この漢字は名前に絶対に使わない方がよい」といったホラーの雰囲気をまとった恐ろしい記事もあったりすると、だいぶ心をえぐられる。
さらには、ネットを開けば、名前に対する批判が広まっており、その批判に該当する要素が我が子の名前にあると、我が子が否定されているような気持ちになり、そんな名前を無責任につけてしまったと自分を責めてしまう。
子どもがその名前を将来気に入ってくれるかという雲をつかむかのような不安もある。これはまだよくても、名前が原因で子どもがいじめられないだろうかという不安もあるし、それで実際に子どもが損害を被ったり、親を怨む可能性もある。
さらには、現代はグローバル化で、海外での響きも考慮する必要があったり、名付けのときの夫婦や親族とのパワーバランスが悪いと周りの人の意見を優先して、「どうして自分の意見を貫けなかったのか」と後悔するといったこともある。
少し考えただけでも、本当に名付けは難しい。
そんな外部の承認もほどほどに、気にしない強さがあればどれだけ楽だろうか、、、自分の名前が批判されたり不完全な点があったとしても「まぁ、いいか」となるけど、我が子となると心がどうしても痛んでしまう。
周りの人は、名前ぐらいでと思うかもしれないが、まだまだ今の時代も、母親が主となって育児をすることが多い。
日常の自己紹介、病院での受付、保育園でのやり取りなど、母親は圧倒的に多く、周りからの「反応」や「評価」に直面するので、
そのたびに不安が増幅してしまい、名前の「不完全性」をクローズアップしてしまい、「完璧に決められなかった自分」への怒り(後悔)がでてくる。
名付けた瞬間は「この名前が、この子の人生を最高のものにする」という愛と希望(最高の価値観の投影)でいっぱいだった思いが、外部の承認が入ることで、どんどん「この名前じゃなかった…」と後悔へと形を変えていくのではないか。
『その他の要因』
・社会的な責任感: 「子どもの人生」が名前で左右されることへの究極的な責任感を、母親の方が強く抱きがち。名前で子どもがからかわれたり、不便を感じたりすると、「すべて自分のせいだ」という罪悪感を抱きやすい。
・ホルモンと心身の状態: 出産前後のホルモンバランスの激変や、睡眠不足といった極度の心身の消耗状態が、メンタルを不安定にし完璧主義に偏りやすいらしい。
・「焦り」による後悔: 出生届の提出期限(14日)という外部のプレッシャーの中、「もう少し考える時間がほしかった」という「不完全な決断」をしたという感覚が、後になって「あの時、完璧な名前を決められなかった自分」への自己否定となる。
・名付けの主導権の喪失: 夫や親族の強い希望が優先され、母親の意見が抑圧されるケースも意外と多いそうです。
最後に…
名付けに後悔することは、愚かで恥ずかしいことだと感じてしまいます。わたしも実際に、「あのときもっと考えてればよかったのに…」とか「もう付けてしまったのだから、気にしてもしょうがない」という言葉をかけられたことがあります。
ですが、名付けの後悔を経験して思うことは、 「仕方なかった」「気にしてもしょうがない」で終われないほど、我が子を大切に思っているということです。
その思いを、愚かで恥ずかしいことだと否定せずに、「あなたが子どもの人生を究極的に大切に思っているからこそ生まれる、愛の裏返し」だと自分を認めてあげることが大切ではないかと感じます。
それは改名を考えている方も一緒です。まずは、自分の「我が子をどれだけ大切に思っているか」という気持ちを認めてあげるのが、大切なステップだと思います。
そのうえで、不本意な名前だとしても、どんな後悔のかたちであったとしても、「この名前しかなかったんだ」と思えるように、自分の心に答えを見つけていくのが、終わりのない「罪悪感と自己否定」のループから抜け出していく道ではないかと、私は感じています。