家族なのに、どうしてこんなにも遠いのだろう。
今日、シャワーを浴びながら、また一つ悲しい現実に気づいた。
シャンプーの後、排水口に残る髪の毛。
今までは、専用の小さなゴミ箱に入れて、母がまとめて捨てていた。
けれど、いつも私が最後にシャワーを浴びるため、母の髪の毛まで私が片付けることになっていた。
以前、そのことを母に指摘した。
「自分の髪の毛くらい、自分でゴミ箱に入れてよ。私には厳しく言うのに、どうして自分はやらないの?」
母から謝罪の言葉はなかった。
そして最近、浴室に見慣れない小さなゴミ箱が置かれるようになった。
何となく違和感があった。
今日、その理由が分かった。
母は、自分専用のゴミ箱を用意していたのだ。
私のものには触れない。
自分のものだけを片付ける。
たったそれだけのことなのに、私には、また一つ家族としての距離を置かれたように感じられた。
思えば、こんなことは今に始まったことではない。
二十歳の頃から、私の洗濯物は家族のものとは別にされていた。
彼ができて、帰宅が遅くなるようになった頃だった。
理由をはっきり告げられたわけではない。
ただ、私の洗濯物だけが残されていた。
まるで汚いものを避けるかのように。
それ以来、どんなに体調が悪くても、自分の洗濯は自分でしてきた。
一度だって、代わりに洗ってもらったことはない。
自分のことを自分でするのが嫌だったわけではない。
ただ、具合が悪いときくらい、「洗っておいたよ」と言ってもらえる家族であってほしかった。
食事も同じだ。
一緒に食卓を囲まなくてもいい。
生活する時間が違っても構わない。
「冷蔵庫にあるから、後で食べなさい」
そんな一言があれば、それだけでよかった。
けれど、キッチンはいつもきれいに片付けられ、私の食事は残されていない。
ダイニングには、私の席もなくなった。
同じ家に住んでいるのに、私の居場所だけが少しずつ消えていく。
私は長い間、家族との関係を良くしたくて努力してきた。
家事をして、相手のことを考えて、自分にできることを続けてきた。
いつか認めてもらえるかもしれない。
いつか普通の家族のように接してもらえるかもしれない。
そんな思いが、どこかにあったのだと思う。
でも、現実は違った。
努力を重ねても、距離は縮まらない。
むしろ、以前より遠ざけられているように感じる。
今では、私に出ていってほしいのだろうかとさえ思う。
もちろん、母の本心は分からない。
それでも、毎日の暮らしの中で感じる寂しさは、確かに存在している。
今日、私は自分の髪の毛を新聞紙に包み、ゴミとして捨てた。
これからは毎回、自分で片付けようと思う。
そうすれば、もう小さなゴミ箱に髪の毛がたまることもない。
怒りを通り越して、思わず笑ってしまった。
なんて心の小さい母親なのだろう。可哀想な人だ。
けれど、本当は笑えるようなことではない。
私が欲しかったのは、特別な愛情でも、大げさな感謝でもない。
ただ、家族としての普通の思いやりだった。
**家族がいる家なのに、私の分だけがない。**
食事も、洗濯も、座る場所も。
そして、心を寄せてもらえる場所さえも。
小さなゴミ箱を見つめながら、私はそんなことを考えていた。
もう、認めてもらうためだけに努力を続けるのではなく、自分の心を守ることも考えたい。
家族だからこそ傷つくことがある。
そして、その傷は、他人には見えないほど小さな日常の中に隠れている。
たった一つのゴミ箱。
それは私にとって、長い年月をかけて広がってしまった家族との距離を、改めて感じさせる出来事だった。