序章|なぜ今、この話を書くのか
おばあのところには恋愛や復縁、人間関係のお話がよく届きます。
「どうしてこんなに苦しいのでしょうか」
「どうして私ばかりがこんな思いをするのでしょうか」
そんな言葉を見るたびに、おばあは少しだけ遠くを見るような顔をします。
そして決まってこう言います。
「苦しいのは、その人が弱いからじゃないさぁ」
私はその言葉の意味を長い間よく分かっていませんでした。
けれど大人になった今なら少しだけ分かる気がします。
なぜなら、おばあ自身も長い間苦しんできた人だったからです。
今では「あのおばあに聞いてみなさい」と言われることもあります。
けれど最初からそうだったわけではありません。
本当は誰よりも普通の人生を望んでいた人でした。
今日はそんなおばあの昔話を書いてみようと思います。
第一章|生まれた時から少しだけ違った
おばあは沖縄の離島にある、昔からユタを出してきた家に生まれました。
けれど子どもの頃のおばあは、自分の家が他と違うことをよく分かっていなかったそうです。
ただ一つだけ。
周りの子どもたちと違うことがありました。
夜になると眠れない日があったそうです。
理由はわかりません。
身体が痛いわけでもない。
怖い夢を見たわけでもない。
なのに胸がざわざわする。
誰かに呼ばれているような気がする。
そんな夜が何度もあったそうです。
島の夜は静かです。
窓を開ければ波の音が聞こえます。
風が吹けば木々が揺れます。
それだけの音しか聞こえません。
それなのに、おばあには何かが聞こえる気がしていたそうです。
もちろん子どもですから、最初は気のせいだと思っていました。
ところが、不思議なことが続きます。
夢で見た人が翌日家を訪ねてくる。
胸騒ぎがした日に近所で出来事が起きる。
初めて会う人なのに、なぜか涙が出るほど悲しい気持ちになる。
そんなことが何度も続いたそうです。
ある日、おばあはそれを周りの大人に話しました。
子どもですから悪気はありません。
ただ不思議だったから話しただけです。
けれど返ってきたのは優しい言葉ではありませんでした。
「変なこと言うんじゃないよ」
「気味が悪い」
「またそんなこと言ってるのか」
おばあはその日初めて気付いたそうです。
自分は周りと違うのだと。
第二章|普通になりたかった
それからおばあは、自分の感じるものを人に話さなくなりました。
誰だってそうです。
気味悪がられるのは辛い。
友達と同じように笑いたい。
普通に学校へ行って、普通に恋をして、普通に生きていきたい。
おばあもそうだったそうです。
だから見ないふりをしました。
感じないふりをしました。
胸騒ぎがしても無視した。
夢を見ても忘れるようにした。
何もない。
何も感じていない。
そう思い込もうとしたそうです。
けれど、無視しようとすると余計に苦しくなる。
見ないようにすると余計に気になる。まるで海の中に沈めたものが何度でも浮かび上がってくるように。
何度押さえつけても戻ってくる。そんな感覚だったそうです。
それでも、おばあは頑固でした。
「私は普通でいい」
そう思っていたそうです。
特別な力なんていらない。
人の相談を受ける人にもなりたくない。
ただ平穏な人生が欲しかった。
それだけだったそうです。
第三章|初めて手に入れた幸せ
そんなおばあにも、やがて好きな人ができました。
後に夫となる人です。孫の私からするとおじいちゃんですね。
おばあは昔、この頃のことを珍しく笑いながら話してくれたことがあります。
「本当に幸せだったさぁ」
と。
その人といる時だけは、自分が普通の人になれた気がしたそうです。
未来の話をした。
子どもの話をした。
年を取った時の話をした。
何でもない毎日でした。
けれど、おばあがずっと欲しかったものがそこにはありました。
だから思ったそうです。
もう大丈夫かもしれない。
自分も普通の人生を歩いていけるかもしれない。
そう信じたそうです。
けれど人生は時々、人が一番大切にしているものから試すことがあります。
その頃から、おばあはまた夢を見るようになります。
忘れたはずの感覚。
消えたはずの胸騒ぎ。
夜中に目が覚める日が増えたそうです。
理由はやはり昔と一緒で何も分かりませんでした。
ただ、心のどこかで嫌な予感だけが大きくなっていったそうです。
第四章|海を見られなくなった日
今でもおばあは詳しく話したがりません。
だから私も深く聞いたことはありません。
ただ一つだけ分かっていることがあります。
その後、おばあは人生で一番大きなものを失いました。
そして長い間、自分を責め続けたそうです。
「あの時、違うことをしていたら」
「あの時、ちゃんと話していたら」
そんな言葉を何度も繰り返していたそうです。
おばあは海の近くで生まれました。
海を見ながら育ちました。
けれどその頃から、海へ行かなくなったそうです。
塩にも触れなくなりました。
人の相談も聞かなくなりました。
何も感じたくなかった。
何も思い出したくなかった。
ただ静かに生きたかった。
それだけだったそうです。
結び|それでも終わらなかった
人は時々、自分の人生から逃げようとします。
おばあもそうでした。
二度と関わらないと決めた。
二度と人の話は聞かないと決めた。
二度と海へは行かないと決めた。
けれど、不思議なことに人生は終わらなかったそうです。
逃げても。
拒んでも。
離れても。
何かが何度もおばあを呼び戻したそうです。
そしてある旧暦の夜。
おばあは再び海へ向かうことになります。
その夜のことは、また次のお話で書こうと思います。
孫 琉花