遊びたいゲームがなければ、自分で作ればいい
子供の頃、僕はゲームを作って遊んでいた。
といっても、プログラミングをしていたわけではない。
使っていたのは、ノートや方眼紙、鉛筆、そしてサイコロだった。
当時も家庭用ゲームはあったし、僕自身ゲームが好きだった。
ただ、遊んでいるうちに「ここがこうだったらもっと面白いのに」と思うことがあった。
それなら自分で作ってみよう、という発想だった。
もちろん、完成度の高いものではない。
今考えれば、ゲームとして成立していたのか怪しい部分もあったと思う。
それでも、自分が面白いと思うものを、自分なりの方法で形にしていくことが楽しかった。
方眼紙の上に、世界を作る
例えばRPG。
方眼紙にマップを描き、町や城、ダンジョンを配置する。
登場人物の能力値や武器の強さ、敵との戦闘方法も自分で考える。
結果を決めるためにサイコロを使えば、紙の上でも冒険は成立する。
野球のゲームも作った。
チームや選手を設定し、それぞれに能力を持たせ、試合の結果を計算する。
ただ勝敗を決めるだけではなく、球団を運営したり、シーズンを通して成績を競わせたりするようなシミュレーションを考えていた。
戦国時代を題材にしたゲームも同じだ。
地図を描き、勢力を配置し、兵力や領地、戦闘のルールを決める。
どうすれば戦略性が生まれるのか。
強い勢力が必ず勝つのでは面白くないし、運だけで決まっても面白くない。
そんなことを考えながら、何度も数字やルールを書き直した。
共通していたのは、最初から正解が存在しなかったことだ。
何を作るかも、どう動かすかも、自分で決めなければならなかった。
「できない」は、考えるきっかけだった
当然、思いどおりにいかないことも多かった。
ルールを作ってみたら矛盾が生まれる。
計算が複雑になりすぎる。
ゲームを進めてみると、想像していたほど面白くない。
そんなときは、別の方法を考えた。
数字を変えたり、仕組みを単純にしたり、まったく違うルールを試したりした。
誰かが用意してくれた機能も、便利なテンプレートもない。
そもそも、何が必要なのかすら自分で考える必要があった。
でも、そこが面白かったのだと思う。
何かができないとき、それは終わりではなかった。
どうすればできるようになるのかを考える、次の遊びの始まりだった。
便利になるほど、考えなくても済むことが増える
今は、当時とは比べものにならないほど多くのことが簡単にできる。
スマホひとつで画像を作り、動画を編集し、文章を書き、ゲームで遊ぶこともできる。
生成AIに頼めば、自分では思いつかなかった案まで提示してくれる。
それ自体は素晴らしい進歩だと思う。
僕も便利な道具は使うし、昔の不便な環境に戻りたいわけではない。
ただ、便利さには別の側面もある。
用意されたテンプレートから選ぶ。
おすすめされた候補から選ぶ。
AIが提示した答えから、気に入ったものを選ぶ。
もちろん、選ぶことにも判断力や感性は必要だ。
選択することが、創造ではないと言いたいわけでもない。
ただ、「どれを選ぶか」を考えることと、「そもそも何を作るか」を考えることは、同じではない。
前者がどれほど便利になっても、後者まで自動的に身につくわけではないと思う。
道具の限界を、自分の限界にしない
前編で書いた「スマホで完結する」という言葉への違和感も、結局はここにつながっている。
スマホでできることは、本当に増えた。
けれど、それはスマホという環境の中で、できることが増えたという話でもある。
使っているアプリに機能がなければ、できない。
用意されたテンプレートに合わなければ、難しい。
AIが思いどおりの答えを出してくれなければ、そこで行き詰まる。
もちろん、別のアプリや道具を探せば解決することもある。
大切なのは、そのときに「この道具ではできない」と考えるのか、「だから自分にはできない」と考えるのか、その違いだと思う。
僕が子供の頃に作っていたゲームには、できないことだらけだった。
画面もなければ、音も出ない。
複雑な計算を自動で処理してくれる仕組みもない。
それでも、足りない部分をどう補うかを考えることで、自分なりの遊びを作ることはできた。
道具が持っている機能と、自分が持っている可能性は、必ずしも同じではない。
答えを選ぶ時代に、答えを作る力を
僕は、今の子供たちが昔と同じように方眼紙でゲームを作るべきだとは思わない。
今には今の道具があるし、それを使って昔では考えられなかったものを作ることもできる。
むしろ、道具がこれだけ進化した今だからこそ、何を作りたいのかを自分で考えることには、以前にも増して価値があるのではないだろうか。
便利な機能を使いこなすこと。
たくさんの選択肢から、自分に合ったものを見つけること。
それらも大切な能力だ。
でも、用意された選択肢の中に、自分の求めるものがなかったらどうするのか。
そこで諦めるのか。
それとも、選択肢そのものを作ろうとするのか。
子供の頃、方眼紙に描いた地図や、何度も書き直したゲームのルール。
あれは単なる遊びだったけれど、振り返ってみれば、答えのないものに自分で答えを作る経験でもあったのだと思う。
スマホで何でもできる時代。
だからこそ、忘れたくないことがある。
道具に何ができるかではなく、自分は何をしたいのか。
その問いを持ち続けることが、本当の意味で「できること」を広げていくのではないだろうか。