祈りの力が、光に変わるとき

祈りの力が、光に変わるとき

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― 霊的な感受性が目覚めはじめたあなたへ ―

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今日は、祈りについて書いてみたいと思います。

祈り、と聞くと、

手を合わせること。
神様にお願いすること。
誰かの幸せを願うこと。

そんなイメージを持つ方が多いかもしれません。

けれど、祈りというのは、
ただ言葉を唱えることでも、
ただ手を合わせることでもないと私は感じています。

祈りは、想いです

そしてその想いは、
目には見えなくても、
ちゃんと届くことがあります。

先日、あるクライアントさんから、
とても不思議で、けれどとても美しいお話を聞きました。

その方は、もともと幼い頃から感覚がとても強い方でした。

けれど、子どもの頃にその感覚を周囲から少し抑えられるような経験があり、
ご本人も長い間、
「霊的な力があるからといって、現実を生きる上で必要とは限らない」
という感覚で、普通に日々を過ごしてこられました。

けれどある時期から、
自分の中に抑えてきた本来の感覚が、
もう隠しきれないように出てこようとしている。

そんな流れの中で、私とのご縁がありました。

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その方が、先日クラシックのコンサートに行かれた時のことです。

大きなホールの中で、
たくさんの人が音楽に心を動かされ、
会場全体がとても高い周波数に包まれていたそうです。

その時、突然、
あるご友人のご相談のことがエネルギーとして浮かび上がってきたそうです。

そのご友人は、先祖代々のことや土地に関わる霊的な問題で、
長い間とても悩まれていました。

体調不良や、原因の分からない不調、
普通ではないと感じるような出来事が続き、
何十年にもわたって解決できずにいたような問題でした。

そのクライアントさんも、
何とかしてあげたいと思いながらも、

「自分にはどうすることもできない」
「ただ祈ることしかできない」

そんな思いで、
ご友人には供養や祈りの大切さを伝え、
ご自身もできることを続けておられました。

けれど、そのコンサートの最中。

突然、涙があふれて止まらなくなったそうです。

そしてその方の感覚の中で、
長い間、未練やわだかまりを抱えていたたくさんの魂たちが、
光の方へ向かっていくのが見えたとおっしゃっていました。

それは、誰かが無理やり連れて行ったというよりも、
その方たちの苦しみや訴えに、
やっと光が届いたような感覚だったのだと思います。

納得のいかない亡くなり方をした方たち。

言いたかったこと。
分かってほしかったこと。
消化しきれなかった思い。

そういったものが長い間残っていて、
その重たい思いが、
そこに住む人たちの現実や体調にも影響していたのかもしれません。

でも、そのクライアントさんは、
その方たちを責めることも、
怖がって切り捨てることもせず、

ただ、

「楽になってほしい」
「光に還ってほしい」

という思いを持ち続けていました。

それが、祈りだったのだと思います。

そしてその祈りが、
クラシックコンサートの会場に満ちていた高い周波数と共鳴し、
大きな光になったのではないかと感じました

音楽に感動しているたくさんの人たちの高揚感。

美しいものに心を開いている空間。

その場に満ちていた集合的なエネルギー。

それらが、その方の祈りと重なった時、
長い間届かなかった場所に、
ようやく光が届いたのかもしれません。

私はその話を聞いた瞬間、
「ああ、本当に光に還られたんだな」
と感じました。

そしてその方も、
その出来事を誰かに自慢したかったわけではなく、

ただ、

「こんなことが起きたんです」
「この感覚を分かち合いたかったんです」

という思いで、私に話してくださいました。

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こういうことは、
なかなか人に話しても分かってもらえないことがあります。

けれど、覚醒が進んでいく中では、
こういった感覚が目覚めてくる方もいます。

亡くなった方の思いを感じる。
土地に残るエネルギーを感じる。
誰かの未消化の感情を受け取る。

そういう感覚が出てくると、
最初は本当に怖いと思います。

正直に言うと、私も最初は怖かったです。

肉体のない存在。

いわゆる幽霊とか、霊的なものと呼ばれる存在。

そう聞くだけで怖いと感じるのは、
とても自然なことだと思います。

しかも、軽やかな状態で現れるわけではなく、
強い未練や苦しみを抱えている場合、
そのエネルギーはどうしても重たく感じられます。

だから、
すんなり受け入れられる人の方が少ないかもしれません。

けれど、こういった感覚が目覚めはじめた時に、
知っておいてほしいことがあります。

それは、
怖いものを無理に受け入れなければいけない、
ということではありません。

ただ、
そこにあるのは「怖い存在」ではなく、
肉体を失ってもなお、
分かってほしい思いを抱えた存在なのかもしれないということです。

人間は、感情を持っています。

生きている時に、
どうしても納得できなかったこと。
分かってほしかったこと。
悔しかったこと。
悲しかったこと。

そういった思いは、
肉体を失ったからといって、
すぐに消えるとは限りません。

生きている私たちだって、
一度話しただけでは気が済まないことがあります。

何度も何度も誰かに聞いてほしいことがあります。

それと同じように、
亡くなった方の中にも、
強い思いを残したままの方がいるのだと思います。

だからこそ、
祈りが必要なのだと思います。

祈りとは、
特別な能力を持つ人だけのものではありません。

「どうか楽になりますように」

「どうか光に還れますように」

「どうか本来の場所へ戻れますように」

その純粋な思いは、
とても高い周波数を持っています。

もちろん、私たちは人間なので、
いつも高い波動でいられるわけではありません。

自己否定する日もあります。
罪悪感に飲まれる日もあります。
自分なんてダメだと思う日もあります。

でも、それでも人の中には、
誰かを思いやる優しい周波数があります。

だから祈りは、
誰にでもできるのだと思います。

そして同じような祈りが重なった時、
それはとても大きな光になります。

今回の出来事は、
まさにその祈りの力が、
光に変わった瞬間だったのではないかと感じています。

ただし、ここで大切なのは、
誰もが同じことをしなければいけないわけではないということです。

霊的な感受性が目覚めてくると、
亡くなった方の思いを感じる人もいます。

話を聞く役割の人もいます。

祈りを届ける役割の人もいます。

光へ還るサポートまでできる人もいます。

でも、それは優劣ではありません。

できるからすごい。
できないから足りない。

そういうことではないのです。

それぞれに役割が違うだけです。

自分がどこまで関わるお役目なのか。
何を感じ取り、何をする必要があるのか。
どこから先は自分の役割ではないのか。

それを知ることも、とても大切です。

霊的な感覚が目覚めはじめると、
怖さや戸惑いが出てくることがあります。

「自分はおかしくなったのかな」

「こんなものを感じたくない」

「できれば見たくない、分かりたくない」

そう思うこともあるかもしれません。

でも、それはとても自然な反応です。

最初から平気な人ばかりではありません。

私もそうでしたし、
今回のクライアントさんも最初は戸惑っていました。

それでも少しずつ、
自分にできることだけを受け止めていく中で、

「ああ、これでよかったんだ」

「この方たちは光に還れたんだ」

「させていただいてよかった」

そう感じる瞬間が訪れることがあります。

その時に流れる涙は、
怖さの涙ではありません。

温かい涙です。

魂が安心した時の涙。
光が届いた時の涙。
祈りが届いたことを知る涙。

そんな涙なのだと思います。

覚醒とは、
ただ何かが見えるようになることではありません。

霊的な感覚が開くことだけでもありません。

目に見えないものを、
怖がるだけで終わらせず、

そこにある思いや痛みに、
どのように向き合うのか。

自分にできる範囲で、
どのように祈りを届けていくのか。

それもまた、
覚醒の中で起きていく大切なプロセスなのだと思います。

祈りは、目には見えません。

けれど、届いています。

たった一人の祈りであっても、
そこに本当の思いがあるなら、
それは光になります。

そして時に、
たくさんの人の高い周波数と共鳴しながら、
自分一人では届かなかった場所へ、
大きな光として届いていくことがあります。

祈りの力は、
私たちが思っている以上に深く、
そして優しいものなのかもしれません。

もしあなたの中で、
霊的な感覚が少しずつ目覚めはじめていて、
戸惑いや怖さを感じているなら。

無理に受け入れようとしなくても大丈夫です。

けれど、
そういう世界があること。

そしてその感覚は、
怖がるためだけに開いているのではなく、
祈りや癒しとして働くこともあるということ。

それを、心のどこかで知っておいてもらえたらと思います。



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