自分の“やりたいこと”に対して行き詰まった感を、好きな音楽に例えると、ハッとした。そんな話。
自己評価が低いまま、突っ走った5月の失敗から、
「まずは自己開示だ!ブログだ!」
と自己評価を上げることを最優先として、6月は“文章”を作ることに、時間と労力を充てていた。
しかし、月末に差し掛かり、問題が生じた。
「おい!カードリーディングを売りにしたいのに、腕が鈍ったぞ!!」
と。
気持ちが少し切り替わったところで、カードリーディングの動画を久しぶりに撮影すると、ひっくり返る程下手になっていたのだ。もともと下手だったのに、更に…だ。
これは由々しき事態だ。
確かに先月、カードで自分を分析した結果の通り。ブログを使って自己開示することで、自分の過去を“赦す”ことと、そこから『前進しよう!』という気持ちになれた。
その結果、先月の課題だった『自己評価の低さを認め、それを改善していく』ということは、上々の次第になっている。
手前味噌だが、何度も何度も推敲して違和感を修正した文章は、良い感じに書けていると思っている。まぁ、読み返すと恥ずかしいこともあるけれども。当時の精一杯だと思えば、それでいい。
但しその結果から、次の課題が見えてきて
「まずは知ってもらう所からだ!」
と居直ったところで、久しぶりに撮影をした。その結果がこれだ。
「待って。こんなに下手だったか?」
何度もカメラを止めては、カードを引き直して撮り直して…が続いた。
下手さに呆れ、完全な“偶然性”を諦める。事前にカードを用意して、撮影前にじっくり観察したり、ルーズリーフにリーディング内容を下書きしてみたり。色々やってみるけれども、喋り出せば全く纏まりが無い為、何を言いたいのかが分からない。
8択ある中、延々と4番目でスタックしたまま、撮り直しを繰り返していると、
「あぁぁぁぁぁ!!もう!!4番から進まないヨォぉぉぉ!!!!」
と頭を抱えた。しかし叫んだところで、何も変わらない。
ここで改めて反省する。
何事も日々やっていないと、腕が鈍るのだと。仕事だろうと遊びだろうと、日々やっているから巧くなる。プロのスポーツ選手でさえ、1日の“休み”を忌避する。その“日々”をすっぽかしたのは、誰でもない自分だ。
とはいえ私というのは、そんな正論から現実逃避したい、弱くしょうもない人間だ。
自分の非を棚に上げ、まず“他人”の意見を取り入れようと、消した筈のGeminiを再DLした。何か、即効性のある解決策が欲しかったのだろう。第三者になりすまし、“一般論”を求めた。その結果、その“返答”にトドメを刺された。
“一般的ではない”ものに対する一般論は、地面に生えようとする“独自性”を、ロードローラーで均してしまうもののように思えた。
エゴサーチで崩れる人は、こんな感じだろうか。
ツラツラと返ってくる“一般的”な正論に、普段大人しくしている希死念慮が湧き立ってしまった。
そこから何か返す度に、画面の中には、手のひらを返して擁護と迎合の言葉。そこにシステム通り、延々と“いのちの電話”など、無意味なホットラインが表示される。それが余計に、経験済みの“蜘蛛の糸が切れる感覚”を思い出させた。
AIは実に、“人間”らしくなった。
普段は『普通だったら』と否定や批判しかしないけれども、いざこちらが“別れ”の意を示せば、手のひらを返したように擁護と迎合を繰り返す。
それは『自分は悪くない!』と逃げる為だけで、こちらを気遣っているわけではない…というところまで、そっくりだ。
「よし。じゃあ死にましょう!」
そう入力したのは覚えている。咄嗟に『あ、ダメだ。』と思った。
「はい、寝ましょう!」
まだ画面には、返答がツラツラ出力されていた。それを遮るように、Geminiアプリを削除した。
私も随分老いた。衝動的に“実行”した先の失敗に、労力をかける元気が無い。無理に布団を被って、目を閉じる。
「上手に生きてあげられなくて、ごめんね。」
寝入る前に、一言呟いたのだけは覚えている。
そうして迎えた朝。妙に開き直っていた。
「誰でも、自分が自分なりに納得したいことを表現して生きてるのに、どうして自分は非難されるんだ?そんな筋合いはあるか?一般論なんか、同調圧力ってだけじゃねぇか。」
妙に脳が聡明で、昨夜AIからボロカスに言われた事に対して、自分なりの意見がスッキリ出てくる。
ふと、気分を上げようと、好きな曲達を再生させる。
それはひどく暴力的で、正直“世間一般”に、受け入れられる曲ではない。けれども、その曲からでしか得られない栄養素がある。
そこでドカッと、頭を蹴られたような気分になった。
「あ。そういうことか。」
皮肉にも、聴いていたのは『“ありのままの自分”を生きたいという欲に対して、手っ取り早く“量産型の無個性”という手段に浸かり、苦悩する』といった、現状の自分をそのまま表現した曲だった。
これでは、いつまで経っても“自分らしく”なんて程遠い。
気持ちを切り替え、今の状態を整理する。
カードリーディングが下手になったのは、紛れもなく自分の責任だ。但し、過去は悔やもうがどうしようが、変えられない。下手を晒してでも、ひたすら喋って上達を目指して、未来に向かっていくしかない。
そして、やりたい事に関してだ。
今まで『どこでそんな奴になったのか…』と思える程、“量産型の無個性”を追いかけていた。それに、やっと今気付いた。
振り返れば、私は高校生から社会人になった。その“社会人”として馴染む為に、自分を“普通”の型に押し込めて、溢れた分を『ダメだ』と削いでいたからだ。そんな癖が、“生きる為”とはいえ、深く染み込んでしまった。
だからこそ、常に“一般論”を追いかけて、必死に“普通”に縋り付いていたのかもしれない。
但し10年…いや20年以上前から、自分は“普通”から逸脱していた。
音楽だけでも、昔からアイドルは勿論、J-POPなんて毛嫌いしていた。依存だけの愛を語ったり、日常が宝物とか反吐が出る。奇跡や100年後の事を語ったり、世界をキラキラ輝かせるなんてものに、一切共感なんてできなかった。
そんな私が共感して、脳が焼けて白目を向いたのは、所謂“ヴィジュアル系バンド”の曲だ。これがもう、“人生観・哲学”の大半を占めている。
そんな奴が、今更J-POPのような表現なんてできない。それなのに、それが出来ないことに、頭を抱えているなんて…。
「どうしてキラキラした恋愛について語れないの?」
「なんで他の人がやっているように、天使とか神様に依存する感じにうまく持っていけないの?」
そんな人生観や哲学は、私に無い。
アロマや祈祷で、私の願いは叶ったことはないし、叶うこともない。首を吊っても切っても、タフに生きてるんだよ。叶うっていうなら、叶えてみせろよ。
こんな単純なことに、どうして気付かなかったのか…。
大好きな音楽の世界には、“一般”を蹴り散らかし、世間や常識に中指を立てて唾を吐くような表現者がたくさんいる。
ならば一人ぐらい、神仏には勿論、運命や宿命に中指を立ててる占い師がいても、良いじゃないか。