心配なことがひとつあると、気がつけばそのことばかり考えている。
そんなこと、ありませんか?
朝起きた瞬間から思い出して、
家事をしていても、仕事をしていても、ふとした隙にまた考える。
「あれ、大丈夫かな」
「この先どうなるんだろう」
「何かしたほうがいいんじゃないかな」
考えているうちに、最初はひとつだった心配ごとが、どんどん大きくなっていきます。
私自身、心配なことがあると、かなりこれをやります(笑)
そして最近、そんな自分を見ていて気づいたことがありました。
もしかしたら問題そのものが大きくなっているのではなくて、私の「画角」が、そこにズームしているだけなんじゃないか、と。
スマホのカメラで、ひとつのものをぐーっと拡大するような感じです。
ズームすれば、当然それしか見えなくなります。
心配ごとが画面いっぱいになって、
「大変だ」
「どうしよう」
「何とかしなくちゃ」
となってしまう。
そんなとき私は、
「あ、今ズームしてる」
と思うようになりました。
そして、少しだけ画角を戻してみます。
ここで大切なのは、問題を「たいしたことない」と否定することではありません。
無理やり前向きになることでも、
「きっと大丈夫!」と思い込むことでもありません。
問題はある。
心配なのも本当。
でも少し引いて見てみると、その周りには別のものもちゃんとあります。
今日もご飯を食べた。
誰かと笑った。
仕事に行った。
洗濯物を干した。
外では風が吹いている。
いつもの一日も、ちゃんと続いている。
心配している相手がいるなら、その人の人生も「今、自分が心配していること」だけでできているわけではありません。
自分から見えていないところでも、その人はその人の時間を生きています。
そう考えると、
「問題はある。でも、それが世界の全部じゃない」
と思えるようになりました。
私はこれを最近、「画角を戻す」と呼んでいます。
画角を戻したら、もうひとつ。
「じゃあ今、私にできることはある?」
と考えます。
あるなら、ひとつだけやる。
連絡する。
調べる。
必要なことを伝える。
でも、今できることがないなら——
いったん、そのまま浮かべておく。
無理に答えを出さない。
頭の中から追い出そうともしない。
「そこにあるね」と認めて、水面にプカプカ浮かべておくような感じです。
私は最近、この感覚を勝手に「プカプカ」と呼んでいます😉
でも、ここで問題がひとつ。
「じゃあ心配ごとはプカプカさせておけばいいんですね」
……って、それが簡単にできれば苦労しないんですよね😥
頭では「考えても仕方ない」とわかっている。
今できることがないのもわかっている。
それでも気づけば、また考えている。
私もそうです。
だから、プカプカすることも少しずつ「身体に覚えさせていく」ものなのかもしれないと思っています。
面白いことに、私は最近、本当にプールでプカプカ浮いています。
泳ぐことよりも、水の上で力を抜いて浮いている時間が好きなんです。
水の中では、必死に浮こうと力を入れるより、余計な力を抜いて水に身体を預けたほうが浮いてくれる。
「あ、本当に力を抜いても浮くんだ」
これを頭ではなく身体で感じる。
私にとっては、これもひとつの練習になっています。
もちろん、プールへ行きましょうという話ではありません(笑)
散歩でもいい。
お茶を飲むのでもいい。
好きな音楽を聴くのでもいい。
外の景色を見るのでもいい。
考えることをやめようと頑張るのではなく、いったん頭から身体や暮らしのほうへ戻ってくる。
そんな「戻る場所」をいくつか持っておく。
恋愛でも、人間関係でも、家族のことでも、仕事でも。
答えがすぐに出ないことはたくさんあります。
そんなとき、答えが出ない時間まで、自分の一日を全部そこへ預けなくてもいい。
またズームしたら、また画角を戻す。
また掴みにいっていたら、少し手をゆるめる。
そして、今できることがなければ、しばらくプカプカ浮かべておく。
私もまだ、そんなことを繰り返しています。
問題はある。
でも、それが世界の全部じゃない。
今日も自分の画角の中には、
心配ごと以外の景色が、ちゃんと広がっています。