「充実しているときは、時間が経つのがあっという間だ」
そんな言葉を聞くたびに、なるほどとそのとおりだと思っていた。没頭しているときは時計を見る暇もないし、気づけば夜になっている。だから、時間が短く感じる=充実している、という図式が当たり前だと思い込んでいた。
最近感じる違和感
だけど最近、少し違う感覚がある。日々は十分に充実しているし、仕事も自分の取り組みも、いろいろなことがちゃんと進んでいる。それなのに、ふと振り返ったとき、「あぁ、時間が短かったな」とは単純に思わないのだ。
忙しさに追われて一日が消えていた頃の感覚とも違うし、ただ時間が過ぎ去ったのとも違う。たくさんのことができたという手応えがあるのに、時間が縮んでしまったような「あっという間」とは、どこか手触りが違う気がする。
「時間の早さ」と「密度の手応え」
この違いは一体どこから来るのだろう。
思い返してみると、「時間が短かった」と感じるときの大半は、目の前のことにただ流されたり、キャパシティを超えて忙しさに追われたりしていたときだった気がする。自分の意志とは関係なく、気がついたら一日が終わっていたような状態だ。
一方で、自分の軸を持って、やるべきことや選び取ったことにちゃんと向き合えた日は、時間の進み方が早く感じられたとしても、あとから振り返ったときの感覚がまったく違う。
例えば、勉強をした日、散歩に出た日、子どもと遊んだ日。どれも自分で選んでやったことだ。終わってみれば、あっという間だったと感じることもある。けれど、「時間が短かったな」とは、もう感じない。充実していたという手応えと、時間の早さの感覚が、いつの間にか切り離されている。
「充実していれば時間が短く感じる」というのは、あくまで数あるうちの一つの捉え方にすぎない。問題なのは、時計の針のスピード(長い・短い)ではなく、「その時間にどれだけ自分の意志や手応えが詰まっていたか」という密度なのだと思う。
時間の感覚を味わい直す
「充実していれば時間が短く感じる」という言葉に、無理に自分を当てはめなくていい。
「あっという間だった」と雑に片付けてしまうのではなく、「今日という一日の中に、どれだけのことが存在していたか」をちゃんと感じ取れること。時間の長さや短さに一喜一憂するのではなく、自分で選び、進めた時間の密度をしっかり味わう。それだけで、毎日の手応えはもっと確かなものになっていく。