午前3時を回ると、決まって頭の中がざわつき始める。
今日は今年の5月ごろに一応自分の中で頑張って
きれいに片付けたはずの去年と今年の頭にあった自分の中で人生の転換期を迎えるきっかけになった。何回考えてもむしゃくしゃする。過去の記憶が。
泥水みたいに底からひっくり返ってきて、どうしようもない癇癪とやるせなさと他者への今更どうしようもねぇちょっとした怒りと素直になれない、自分のひねくれ度に対しての怒りとフラッシュバックが襲ってくる夜がある。
誰かにぶつけたいような、自分を壊したいような、どろどろとした熱。
それを鎮めるための儀式みたいに、僕はひたすらパソコンに向かってキーボードを叩き続ける。
何故ならガタガタ言ってても仕方ないから やるしかないから。
カタカタ、カタカタ。
薄暗い部屋で光るモニターに打ち込まれていくのは
誰にも見せられないようなリアルな本音と、行き場のない感情の羅列だ。
決まってそういう日は集中できていない、と思う。
途中で躓いたり集中力がなくなってきたら
今更始めた遅すぎた作曲活動をおもむろに始める。
studio one開いてどうにもうまくいかない音階を調整する。
そして納得がいかなかったらそっ閉じする。
そうやって文字を打ち込んで、吐き出して、色々作業をして、空っぽになった頃に
ようやく窓の外が白み始める。
もふもふの銀色と黄色と黒と白が混じった暴力的な可愛らしさの彼が網戸ごしに外を眺めてふにゃぁーーぉと鳴く
恐らく日本語に翻訳すると餌くれにゃか外出せにゃだと思う。
いつも、朝の仕事中の僕はチュールだけ使い捨ての紙皿にぶち込みシカトをする。
夜の魔物が引いていくこの朝っぱらから
今度はその散らかった文字の残骸をかき集めて、僕は曲を作り始める。
深夜の癇癪を、朝の光の中で旋律に変換する。
僕の常は、だいたいそんなバグった粒度で進んでいく。
いま作っている曲のテーマは、身も蓋もないことを言えば
「マイノリティもマジョリティも、結局どっちでもええわ」という話だ。
世間を見渡せば、SNSを開けば、今日も誰かが誰かにラベルを貼って殴り合っている。
自分はマイノリティだから理解されない、
マジョリティの同調圧力がしんどい
正直、うるせえなと思う。
どっちが偉いとか、どっちが可哀想とか、そんなの本当にどうでもいい。
結局のところ、僕らはみんな同じ水槽の中で、必死に上を向いてパクパクと息継ぎをしているだけっしょ。
それが真実だ。
だが、誰にも届かないこの声は。
何故なら俺はインターネット以外今は誰とも繋がっていないからだ。
インターネットですらまじ希薄。
愛猫オンリー。寂しいけど今はまだそれでいい。
人間どうせみんないつか死ぬ。
そこまでてめぇがどう感じるかだと思うし。
そこまでどうやって楽しめるかだと思うし。
そこまで色んな意味で迷惑かけずにいいモンや頑張っていけるかだと思うし。
グレーなことやブラックなことやってるインチキ師にはならないし戻りません。
そして色んな意味で何を残せるかだとも思う。
水槽の底の方で砂に塗れているやつもいれば、水面ギリギリで優雅に泳いでるフリをしているやつもいる。
でも、どんなに強がったって僕らはエラ呼吸なんてできない。
苦しくなったら、泥臭く水面に顔を出して、みっともなく酸素を吸い込むしかないんだ。
もし今、お前が「自分だけが息苦しい」って絶望しているなら、それは大きな勘違いだ。
隣で涼しい顔をしているあいつも、画面の向こうで正論を振りかざしているあいつも、本当は水面下で必死に足をバタつかせている。
みんな、同じ水槽の中で、同じように酸素が足りなくて、同じように息継ぎのタイミングを探している。
自分だけが特別に苦しいわけじゃない
その事実は、絶望なんかじゃなく、圧倒的な救いになるはずだ。
だから、苦しいなら堂々と水面に出て、大きな口を開けて息継ぎをすればいい。マイノリティだのマジョリティだの、そんなくだらないラベルは全部水に溶かしてしまえ。
今日も朝の日差しが、PCのモニターを白く飛ばしていく。
深夜のフラッシュバックは、いつの間にか一本のトラックに変わっていた。
同じ水槽で溺れかけてる誰かが、次の息継ぎを少しだけ楽にできるような。
そんな曲ができたら、とりあえず今日は寝ようと思う。
マイノリティ マジョリティ どっちでもええわ
結局 みんな 同じ 水槽で息継ぎしてるだけっしょ
そんな感じの歌いだし
おやすみなさい。