昼間1時。
DAWのタイムラインだけが青白く光る部屋で俺は頭を抱えていた
…なんで、こんなにロボットなんだよ!
頭の中で鳴り響いているのは、感情の限界を突破して泣き叫ぶような、最強にエモーショナルなロックだ。
しかし、再生ボタンを押した瞬間スピーカーから流れてくるのは、ピッチの正確さだけが取り柄の、感情の欠片もないア・イ・ウ・エ・オの羅列。
リスナーとして神曲を聴き漁っていた頃は、
最近のボカロは人間みたいだなぁなんて呑気に感動していた。
だが、いざ自分がクリエイターとして命を吹き込もうとすると
その認識がいかに浅はかだったかを思い知らされる。
ボカロを上手く歌わせるということが、なぜこれほどまでに鬼畜の所業なのか。
その残酷な技術的障壁を語らせてほしい。
なぜボカロの調声はゲロを吐くほど難しいのか
ただメロディに合わせて歌詞を入力するベタ打ち。
そこから人間らしい血の通った歌声にするためには、果てしないパラメータとの死闘が必要になる。
1. 子音と母音の「繋ぎ目」という魔物
人間が「か(K-A)」と歌う時、KからAへの移行は滑らかで、かつ肺からの息遣いや口の開き具合が自然に乗る。
しかし、ソフトに音符を置いただけでは、ただの「K!A!」というブツ切りの発音になる。
これを解消するためには、VEL(ベロシティ/子音の長さ)や発音のタイミングをミリ秒単位で前後にズラし、言葉が「繋がって」聴こえるように削り出さなければならない。
これを1曲、数千から数万の音符すべてで行う狂気。
2. ピッチベンドが描く「人間の揺らぎ」
人間は指定された音階を「点」で捉えない。しゃくり上げ(ポルタメント)、音の語尾のフォール、そして感情が高ぶった時の微細なビブラート。これらはPIT(ピッチ)のパラメータ画面で、鉛筆ツールを使い手書きでカーブを描いていく必要がある。
マウスを握る手が少しでも狂えば、途端に「音痴な機械」に成り下がる。
大衆の心を鷲掴みにするあの歌声の裏には、このピッチカーブという名の「異常な精密画」が隠されているのだ。
3. 感情を支配するダイナミクス
サビに向けての爆発力、吐息混じりのAメロ。人間が無意識にコントロールしている声量や息の量を、DYN(ダイナミクス)やBRE(ブレシネス)といったパラメータで緻密にオートメーションを描く。
少しでも数値を間違えれば、不自然に声が裏返り、今までの苦労がすべて水の泡になる。
そして突きつけられる「現在地」という事実の哀しみ
これが、頭では理解している理論だ。
そしてここからが、残酷すぎる「事実としての哀しみ」である。
俺は今日、サビのたった4小節の調声に6時間を溶かした。
パラメータを1ミリいじっては再生し、いじっては再生を繰り返し、完全にゲシュタルト崩壊を起こした耳で最終確認をする。
「さっきよりはマシになった……よな
祈るような気持ちで書き出し、トップクリエイターたちの楽曲とプレイリストに並べて聴き比べる。その瞬間、わずかに抱いた希望は粉々に砕け散る。
彼らのボカロは息継ぎをし、泣き、笑い、命を燃やしている。
俺のボカロは、まだ必死にプログラムされた音階を読んでいるだけだ。
俺はまだ、ここなんだ。
頭の中にある10億再生を狙えるほどの最強の音楽に、自分の技術が全く、一ミリも追いついていない。この圧倒的な無力感。才能のなさを突きつけられているような絶望。画面の向こうの重音テトが、
「マスター、もっと上手く歌わせてよ」と呆れているようにすら見える。
だけど、ここでPCの電源を落とすわけにはいかない。
不器用で機械的な声の奥には、間違いなく俺の魂が宿ろうとしているからだ。
いつかこの不格好な歌声が誰かの心を震わせるその日まで。
俺は今日も、果てしないパラメータの海へと潜っていく。