【栗山和暉】「おまけの種」を売らない商売の終わり方
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スーパーのレジ袋に詰め込まれた食材の隙間に、一輪の野花が添えられていたらどうでしょうか。機能的には全く意味のないその一輪が、夕飯を作る手元の景色をどれほど鮮やかに変えてしまうか。私たちは日々、誰かの役に立ちたいと願い、自分のスキルや時間を切り売りしていますが、ついつい目に見える成果や効率という数字の鎖に縛られすぎてしまいます。最短距離で正解を届けること。それはプロとしての誠実さではありますが、それだけではただの便利な道具で終わってしまいます。本当に誰かの記憶に残り、信頼を築くのは、その取引のどこかに忍ばせた「説明のつかない余計な一手」ではないでしょうか。
サービスを出品するこの場所で、私はあえて完成された設計図だけを売るのをやめようと考えたことがあります。論理的な正解を提示するのは当然として、その余白にどれだけ「相手も気づいていないワクワク」を混ぜ込めるか。かつて私が制作会社で必死に画面と向き合っていた頃、あるクライアントから言われた言葉が忘れられません。あなたがくれたのは綺麗なデザインだけれど、私が本当に欲しかったのは、これを作っているときにあなたが感じた楽しさそのものだった、と。そのとき私は、デジタルの冷たい画面に体温を宿らせるには、あえて非効率な対話や、自分勝手なこだわりを隠し味として添える必要があるのだと気づきました。
効率化が進み、誰もが似たような正解を安く手に入れられる時代だからこそ、私たちはもっと不器用な情熱を晒すべきです。相場に合わせて自分の価値を削るのではなく、自分の中にしかない「おまけの種」を大切に育てること。それは、頼まれてもいないのに少しだけ丁寧に整えたフォントの並びだったり、相手の状況を想像して添えた一言のメッセージだったりします。そんな数字には表れない微かなノイズが、受け取る側の心に波紋を広げ、単なる取引を血の通った交流へと変えていくのです。完璧な製品よりも、どこか一箇所だけ隙のある、人間味あふれる表現。そこにこそ、私たちがわざわざここで出会う意味が隠されています。
もし、自分のスキルに自信が持てなくなったなら、一度その高い目標を横に置いて、目の前の人をほんの少しだけ驚かせることだけを考えてみてください。正解を届けるのではなく、驚きという名の種を届ける。その種が相手の心で芽吹いたとき、あなたはもう代わりのきかない特別な存在になっています。私はデザインという仕事を通じて、これからも「効率」という名の大きな壁に、ささやかな落書きを残し続けたいと思っています。それは、いつか誰かがそこを通りかかったときに、ふと足を止めて笑顔になるための、私なりの最高のおもてなしです。
数字や評価という外側の指標に自分を委ねるのではなく、自分の中にある「これを伝えたい」という純粋な衝動を信じること。その震えるような手触りこそが、あなたのサービスの真の価値になります。私たちは機械ではありません。迷い、悩み、それでも誰かのために何かを創り出そうとする、愛すべき一人の人間です。今日も私は、整然と並んだピクセルの隙間に、まだ名前の付いていない愛嬌を一つずつ丁寧に配置しています。目的地へ導くだけでなく、その道中の景色を一緒に面白がれるような、そんな物語のある仕事を。あなたの「おまけの種」が、いつか誰かの人生に忘れられない花を咲かせることを、私は心から信じています。