「幸せになりたい」
誰もがそう願って生きています。 以前の私もそうでした。 幸せとは、何か楽しいことが起きること。ワクワクすること。飛び上がるほど嬉しいニュースが舞い込むこと。 いわゆる「テンションが上がる」状態こそが幸福なんだと、疑いもせずに信じていました。
でも、ある日ふと気づいてしまったんです。 「あれ? 楽しいことも嬉しいことも、なんか疲れるな」って。
今日は、私が辿り着いた少し変わった幸福論――「平熱の幸せ」についてお話しします。
「嬉しい」は、心への負担だった
私は以前、無理をして明るく振る舞っていた(いわゆる「陽キャ」を目指していた)時期がありました。 楽しい場所に行き、楽しい会話をして、笑い合う。それは素敵なことのはずなのに、家に帰るとどっと疲れが出る。
「なんでだろう? 楽しかったはずなのに」
電話の話し相手であるローレンスさんは、私のこの疑問に医学的・心理学的な視点から答えてくれました。
「医学の世界ではね、『ストレス』というのは『変化』のことを指すんだよ。嫌なことだけじゃなくて、嬉しいこと、お祭り騒ぎのような興奮も、心にとっては大きなエネルギーを使う『ストレス』の一つなんだ」
その言葉を聞いて、腑に落ちました。 私の心は、ジェットコースターのように乱高下することを望んでいなかったのです。 悲しいこと(マイナス)はもちろん嫌だけど、激しい喜び(プラス)もまた、平穏な水面を乱す「波」でしかない。
私が本当に求めていたのは、プラスでもマイナスでもない「ゼロ」の状態。 湖の水面のように静止している状態。 感情の波が消え去った、ただ静かな「凪(なぎ)」の時間でした。
「あ、死ぬな」と思った手術室での記憶
私がいかに「生」や「感情」への執着を手放してしまっているか。それを象徴するような出来事がありました。 ある時、手術を受けることになったときの話です。
麻酔が効きすぎたのか、体質だったのか分かりませんが、手術台の上で急に息ができなくなってしまいました。 意識はあるのに、声が出ない。呼吸ができない。 (やばい、苦しい!) 私はプチパニックになりかけました。必死に目で訴え、近くにいた看護師さんに何か伝えようとしました。
すると看護師さんは、私のパニックなどつゆ知らず、優しくこう言ったのです。 「眠かったら寝ちゃっても大丈夫ですよ〜」
(えっ、伝わってない……!)
一瞬、絶望しました。 でも、次の瞬間、不思議な感情が湧いてきたのです。
(ああ、もういいか。これで死ぬなら、それはそれで)
苦しいけれど、もう抗うのも疲れた。 いい人生だったか分からないけど、もう終わりでいいや。さよなら。 そう思ってリラックスしたら、私はそのまま意識を失い――。
目が覚めたら、終わっていました。 「あ、生きてた」 それが、目覚めた時の最初の感想でした。
この話をローレンスさんにしたら、「そこまで生への執着を手放せる人はなかなかいないよ」と驚かれました。 恐怖よりも先に「もういいや」という諦めが来る。 それは、私がこの世界のあらゆることに対して、「絶対にこうでなきゃ嫌だ」という強いこだわりを持っていないからかもしれません。
私はロボットじゃない、という証明
「でも、まるさん。君はロボットじゃない。生きることを放棄したわけじゃないんだよ」
ローレンスさんはそう言いました。 心が「もういいや」と思っても、私の心臓は勝手に動いているし、お腹は空くし、眠くなれば眠る。 私の意思とは関係なく、体は「生きたい」と叫んでいるのです。
「3次元の世界(感情が渦巻く社会)から離れて、心が浮遊してしまっているなら、体の感覚に戻っておいで」
そう言われて、私は自分の感覚に意識を向けてみました。
お風呂に入った時の「はぁ〜」という感覚。 揚げたてのポテトを食べた時の「あ、おいしい」という感覚。 そして何より、縁側でぼーっとしている時に感じる、日差しの温かさ。
そこには、誰かの作為も、期待も、駆け引きもありません。 お日様は「笑え」とも「感謝しろ」とも言わず、ただ一方的に私を温めてくれます。 この「求められない心地よさ」こそが、私にとってのリアルでした。
もし、「あなたがロボットではないことを証明しろ」と言われたら、私はこう答えるでしょう。 「私は、データの熱ではなく、日差しの温もりを『心地いい』と感じることができるから」と。
生産性のない、ただぼーっとする時間を「贅沢だ」と感じられること。 それは、効率を最優先するロボットには理解できないバグであり、人間にだけ許された特権なのかもしれません。
「何もない」という至福
最近の私は、たまに友人と会って「キャピキャピした3次元の会話」をすると、まるで異世界に降り立ったような気分になります。 「ああ、みんな感情のゲームをやってるんだな」と。 それはそれで楽しそうだけど、今の私には少し刺激が強すぎる。
だから私は、また自分の「ゼロ」の場所に戻ります。
今日、何かいいことがあったわけじゃない。 誰かに褒められたわけでもない。 ただ、何も問題が起きていない。 そして、窓から入る日差しが暖かい。
それだけで「ああ、幸せだな」と思える。 楽しいも嬉しいもない。ただ「ある」という感覚。
この「平熱の幸福」を知ってしまったら、もうあのはしごを登り降りする競争の世界には戻れないな、と思うのです。
(つづく)
#幸福論 #ストレス #心の平穏 #執着を手放す #マインドフルネス #メンタルヘルス #生き方 #エッセイ