はじめまして、uta(うた)と申します。
ブログをご覧くださってありがとうございます。
この度、ココナラで、はじめての相談サービスを出品しました。サービス名を「どこかに帰りたい時は、自分自身を片づけます」といいます。ちょっと変わったネーミングでしょうか。
このサービスを始めるにあたり、僕は自分に「かえるアドバイザー」という肩書きを付けました。「どこかに帰りたい方のご質問にお答えする」という、サービスの内容に合わせた肩書きです。
プロフィールのアイコンも「帰る」にかけて「カエル」にしています。ヘッダー画像やブログに使っている線画のイラストは、sora(妻)の手描きです。
先ほどから、「帰る」という言葉が何度も出てきますが、その言葉について、少しご説明します。
これは僕自身が小さい頃から感じていた、どこかへ帰りたい、という漠然とした思いから来ています。ここではないどこかに帰りたい気がするけれど、それがどこかは分からない。こういう気持ち、少しモヤモヤしますよね。
僕は思わず、その道を追求してしまいました。それがどこにつながっているとは知らずとも、ただ進むより道はないという感じでした。時間はかかりましたが、帰ることについて、自分なりの理解を得られたように思います。
それは意外と、難しいことではありませんでした。単に、自分の片づけをする、というシンプルなことを通して、あるべき場所にたどり着く、ということでした。
自分の片づけ、というのは、自分で散らかしたものを自分で片づける、という意味にとどまりません。散らかした自分自身をも片づける、というのが、僕のしてきた片づけです。
自分自身の片づけをすると、今の自分が消えるわけではありませんが、これが自分だと、強く認識している力が消えます。そうしたところに、ポッと出てくる何かがあります。それは「点」の形をした「立ち位置」のようなもので、その点の真上に立つと、帰った、という感覚に近づきます。
シンプルなことなのに、その「点」に立つのが難しいのは、片づけることが、すべてにおいて後回しになっているからです。生きていくうちに溜まる履歴のようなものを、自分だと思っていることによって、立つはずの「点」に立てなくなっています。
この「点」に立つことは必要なのでしょうか。もし、どこかに帰りたい、という思いがあるならば、必要だと思います。その場合は、本来の立ち位置から、かなり離れた場所に立っていることになるからです。
本来の立ち位置、あるべき場所。帰りたいと感じる場所は、つまりこの「一点」を指しています。それは「一人一人に存在する、別々の点」だと、僕は理解しています。
履歴として溜まった自分よりも、前に存在していたもの。今までの自分を片づけると出てくるもの。そういう意味で「はじめの一点」と呼んでみたりもしています。点や立ち位置という呼び方を、視点と言いかえることもできると思います。
この「点」に立つと何が違うのでしょうか。帰った、という感覚に近づくとは、どういうことなのでしょうか。それは、あちこち出っ張っていたものが、平らになって、なにもない、になった。そんな感じです。静けさがあり、休まっている。そういった状態です。
「はじめの一点」に立つことが、生きるために必要か、と問われれば、「いいえ」と僕は答えます。しかし、帰るために必要か、と問われれば、「はい」と答えます。
厚みのある自分の層に耐えられなくなった時に、片づけは必要なのではないかと思います。もっと静かにいられる視点、立ち位置があることを知りたくなった時に。
自分自身を片づけることは、誰かに代わってもらうことができません。はじめの一点を、誰かに見つけてもらうこともできません。ただコツコツと片づけていくことが、それぞれの帰り道となります。
今回、僕が出品したサービスでは、「はじめの一点に帰ること、自分自身を片づけること」についてのご質問にお答えします。ご購入いただいたトークルーム内で、ひとつのテーマのご質問に対し、1000字以内のテキストメッセージをお送りします。
積み上げてきた「自分の層」は、それぞれの形をしています。帰りたいと思われる方は、それをご自身の手で解体していく必要があります。片づけることにノウハウはありませんが、今片づけたいことや、疑問に思われることをお話しいただければ、できるかぎり僕の「はじめの一点」からお答えします。