こんにちは。キャリカク浜松駅前オフィスです。
今回は浜松を超えて静岡をテーマにお話ししたいんですけど、皆さん、民俗には興味ありますか? 民俗学って呼ばれる部類の話になるんですけど。
私は大学生の時に少しかじりました。性格には宗教学として、なんですけど。それがすごくおもしろかったんですよ。私は宗教学や民俗学における「物語性」に凄くわくわくしたんですけど、何故そんなにそそるのかを語りたい。
静岡には幾つかの民俗があります。例えば竹取物語における「富士山」呼称の由来。あれは、不死の薬を頂上で燃やしたので「ふじ」と呼んだってやつですね。個人的には平安時代レベルの装備で富士山を登り切れるのか疑問なんですけど、それはさておき。
他にも、羽衣伝説があります。静岡県静岡市清水区三保の松原 (『本朝事蹟考』、『神社考』等)に関するお話なんですけど、詳細は次のページが公式っぽいので参照して下さい。
三保松原の羽衣伝説 | 三保松原を知る | 世界文化遺産構成資産 三保松原 - SHIZUOKA CITY PROMOTION
さて、話を戻すと何ですが、羽衣伝説には系統があるそうです。……そうなんです、羽衣伝説は複数存在するのです。静岡出身で三保の松原のことしか知らなかった私からしたら大きな衝撃でした。
でも、よくよく考えてみると似たような話を信じている地域っていっぱいあるんですよね。羽衣伝説は天女という人でない存在との話なので、異類婚姻譚って名前で分類されるんですけど、物語にはある程度の類型が見られるのです。神話類型とか物語論(ナラトロジー)で調べると詳しくなれるんですけど、世に残る物語にはなんとなく「型」があるんですね。
これが面白い。世の中にある物語が似たり寄ったりだなぁって感じる人には「なんでそうなるのか」が分かるようになる。話が下手な人でも「型」が分かれば面白い話ができる。
すごいと思いませんか? 宗教学や物語論は「天女とは何者か」(なぜ天女という存在が登場したか)「何を伝えるために生まれた話なのか」等を分析するんですよ。
純粋に私が物語好きなせいでもあると思いますけど、宗教とか物語という世界の一片を解き明かす感覚がすごく好きなんです。私は「人間は無意味な行動をする動物である」と思っています。ただ、私は「無意味な行動も説明することの出来る道理がある」とも思ってるんです。極論、この世界は文字で全てを書き留めることが出来るし、その理屈は綺麗に成り立つように生まれていると信じています。
その意味で類型論などは納得のいく理屈であり、分かりやすい結論なんです。「これらの情報をきれいにまとめると」って言葉が似合う素敵な話だと思っています。
良ければ調べてみてくださいね。