私はできるなら「新聞記者」になりたいと思っていました。なぜなら大学の学生団体での活動を通じて、情報を人々に伝えることに楽しさを感じたからです。学生団体では、年に5回ほど学生新聞を発行し、構内に設置したラックに配架して学生の皆さんに読んでもらっていました。企画・取材・執筆・デザインなど印刷以外のことは全て自分たちで行っていました。
私の一番印象に残っている取材は、毎年12月30日に静岡県富士宮市と富士市で開催される、大学女子駅伝の真の日本一を決める最高峰の大会である「富士山女子駅伝(正式名称:全日本大学女子選抜駅伝競走)」の取材です。大学の女子駅伝部の頑張りを現地で取材させてもらいました。印象に残っている理由は「実際の新聞社の社員さんと同じ場所で同じような活動ができたから」です。スタート時には撮影スポットに陣取り、一眼レフカメラで選手を撮影しました。その後、報道関係者しか入れない「プレスセンター」と呼ばれる場所に入り、逐次テレビで状況を確認しながら写真の整理や記事の執筆を行っていました。また大会の終了後には女子駅伝部の選手の方にインタビューしました。コロナ禍ということもあり、取材の許可を取るのにも一苦労しましたし、全部一人でやったので大変でしたが、そんな中でも取材を無事に終えることができたので、一人前の記者になったような気持ちになりました。
大学の就活では、大手新聞社のインターンにも参加しましたが、倍率が高いということもあり途中で路線変更してIT系の企業を選択しました。私の見通しの甘さもあるのですが、袋井駅から静岡駅まで電車で通勤するのに疲れてしまい、入社後2か月~3か月で「うつ病」という診断を受け、退職するに至りました。その後メンタルクリニックに通院し薬を調整しながら過ごしていましたが、一時体調が急変し入院することになりました。入院後は順調に回復し、今はキャリカクに通えるようになりました。もう一度就活するならメディア系が良いなと思いつつも、障がい者雇用を見据えるなら現実的ではないなという葛藤もあります。とりあえず今は、生活リズムを整えることから始めていきたいと思います。