自己正当化は「魔薬」——
「私が正しい」と、人に認めさせたくなるあなたへ
「私、間違っていないですよね?」
「普通、相手のほうがおかしいと思いませんか?」
「これだけ頑張っているのに、どうして分かってもらえないのでしょうか?」
誰かにこう言いたくなることはありませんか?
つらいとき、悔しいとき、自分の気持ちを聞いてほしいと思うことはあります。私にもあります。
ただ、そのときに一度、立ち止まって考えてみたいのです。
自分は問題を解決したいのか。
それとも、「あなたは悪くない」と言ってもらいたいのか。
この違いに、気づいているでしょうか。
自分の正しさを、相手に認めてもらおうとする
私たちは、無意識に自分を正当化します。
「自分は間違っていない」
「自分は正しい」
「自分が悪いはずがない」
そう考えると、自分にとって都合の悪いことを見ずに済みます。
自分の言葉や行動を振り返る苦しさから、一時的に離れることもできます。
しかし、その正当化を自分の中だけで終わらせず、人に認めてもらおうとすると、関係がこじれていきます。
「私が正しいと言ってほしい」
「私の味方になってほしい」
「私を否定することは言わないでほしい」
相談の形をしていても、欲しい答えが最初から決まっている。
そして、望んだ言葉が返ってこないと、
「この人は分かってくれない」
と、また自分を肯定してくれる人を探す。
こうして、問題を見直すよりも、自分の正しさを認めてくれる人を集めることが目的になってしまうのです。
「分かってほしい」の中に隠れているもの
「分かってほしい」という気持ちの奥には、
寂しさ。
悔しさ。
否定されたくない気持ち。
自分を大切に扱ってほしいという願い。
そうしたものが隠れていることがあります。
いわゆる「かまってほしい」という気持ちです。
ところが、その気持ちを自分では認めず、
「私は正しいことを言っているだけ」
という話に置き換えてしまう。
すると相手には、自分の気持ちを察し、自分を肯定する役割まで求めることになります。
承認欲求があること以上に、
その欲求に気づかないまま、相手に満たしてもらおうとすることが問題なのです。
自己正当化を手放すとき、痛みがある
自分を振り返ったとき、
「自分は、とんでもないバカだった」
と感じるほど、恥ずかしくなることがあります。
相手のためと言いながら、自分の思いどおりにしたかった。
相談しているつもりで、同意を求めていただけだった。
変わりたいと言いながら、自分の正しさは手放したくなかった。
そう気づくことは、楽ではありません。
けれども、そこで見つめたいのは、自分の言動や思い込みです。自分という人間の価値まで否定する必要はありません。
「どうせ私はダメだから」
と卑屈になっても、自分の言動を見直すところまでは進めません。
大切なのは、
「自分は何を認めたくなかったのか」
「相手に何を求めていたのか」
「次は自分の行動をどう変えるのか」
を、具体的に考えることです。
一度気づけば終わりでもありません。
同じことを繰り返したら、「まだここでは、自分を正当化していたんだな」と認め、また行動を変えていく。
その積み重ねです。
気持ちよく肯定されても、問題は残る
「あなたは悪くない」
「相手がおかしい」
「そのままでいい」
そう言ってもらうと、気持ちは楽になります。
しかし、自分にも見直すところがあるのに、それを見ないための言葉として使い続ければ、同じ問題を繰り返すことになります。
安心するために、また誰かの肯定が欲しくなる。
その繰り返しを、私は**自己正当化という「魔薬」**と呼んでいます。
あなたが今、誰かに認めてもらいたいのは、どんなことでしょうか。
その人から「あなたは正しい」と言ってもらえなかったら、何がそんなに苦しいのでしょうか。
そこに、自分を知る手がかりがあるかもしれません。
同じ悩みを繰り返している方へ
あかつき道整骨院では、身体のお悩みとともに、日々の考え方や人間関係についてのご相談も伺っています。
「家族やパートナーと、いつも同じことでぶつかる」
「分かってもらえないという気持ちが消えない」
「自分を振り返りたいけれど、一人では整理できない」
そんなときは、実際のやり取りを一緒に振り返ってみませんか。
何を言われ、どう感じ、何を相手に求めていたのか。具体的な出来事から、自分では気づきにくい思い込みを整理していきます。
うまく説明できなくても大丈夫です。
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あかつき道整骨院
群馬県高崎市上中居町562-3
院長 大森裕介