選べるはずなのに、選べない――
「選択肢がなくなる社会」で自分を守るために
日本国憲法第19条には、
「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」
と定められています。
私たちは本来、自分で考え、自分の良心に従って判断する自由を持っています。
ところが、実際の社会を見ていると、本当に私たちは自由に考え、
自由に選ぶことができているのだろうかと疑問を感じることがあります。
感染症騒動の中では、ワクチンを接種するか、マスクを着けるかという問題が、
単なる感染対策の選択を超えて、他人を評価する基準のようになった時期がありました。
ワクチンを接種しない人を「感染を広げる人」と見る。
マスクを着けない人を「周囲に配慮しない人」と見る。
そのような空気が強くなることで、自分の身体の状態や考え方に基づいて判断することが難しくなった人もいたのではないでしょうか。
私は、接種した人が間違っているとも、接種しなかった人が正しいとも言いたいのではありません。
大切なのは、どちらを選ぶ場合でも、必要な情報を得たうえで本人が考え、その判断が尊重されることだと思うのです。
医療の場でも、同じような問題を耳にすることがあります。
・退院について自分の希望を伝えても、病院側から強い圧力を感じた
・本人や家族の事情を十分に聞かれないまま、「医療ネグレクト」と受け取られた
・医師から説明を受けたあと、治療に同意しなければならない空気を感じた
・ほかの方法を検討したいと言い出せなかった
もちろん、医師や医療従事者は、患者さんの命や安全を守るために説明や提案をしています。
緊急性が高く、選択できる範囲が限られる場合もあります。
しかし、説明を受けることと、無条件に従うことは同じではありません。
厚生労働省の資料でも、患者さんが治療方針を十分に理解し、主体的に意思決定へ参加できることの重要性が示されています。
それでも現実には、「専門家が言うのだから従わなければならない」「周囲と違う選択をしてはいけない」と感じてしまう人がいます。
目に見える形で選択肢が禁止されていなくても、違う判断をすると非難される、仲間外れにされる、無責任だと思われる。
このような空気が強くなれば、人は少しずつ自分で考えることをやめてしまいます。
選択肢がなくなる社会は、ある日突然現れるものではありません。
「みんながそうしているから」
「専門家が言っているから」
「逆らうと迷惑をかけるから」
そうやって、自分で考える機会を一つずつ手放した先に生まれるものだと思います。
自由とは、何をしてもよいということではありません。
自分で情報を集め、考え、選び、その結果について自分なりに責任を引き受けることです。
同時に、自分とは違う選択をした人にも、その人なりの事情や考えがあると認めることが必要です。
接種する人もしない人も、治療を受ける人も受けない人も、まずは互いの判断を聞く。
考えが違うという理由だけで、相手を悪者にしない。
その積み重ねが、「どのような考えの人も生きられる社会」につながるのではないでしょうか。
言われた通りに考え、言われた通りに行動するだけなら、自分の意思は必要なくなります。
しかし、私たちはロボットではありません。
自分の身体をどうするのか。
どのような治療を受けたいのか。
これからどのように生きていきたいのか。
最終的に自分の人生を生きるのは、自分自身です。
ただ、いざ選ぼうとすると、
「何が自分に合っているのかわからない」
「病院でうまく希望を伝えられない」
「周囲と違う選択をすることが怖い」
「身体のことだけでなく、心や生活についても整理したい」
という不安が出てくることがあります。
あかつき道整骨院では、何か一つの考え方を押しつけるのではなく、
身体の状態、食事、生活、人間関係、心の問題などを一緒に整理しながら、ご本人が納得できる選択を考えるお手伝いをしています。
医療機関での治療を一方的に否定したり、治療の中止を指示したりする場所ではありません。
必要に応じて医療機関への相談も大切にしながら、「自分はどうしたいのか」を見失わないための相談の場です。
誰にも話せず、一人で迷っている方は、一度ご相談ください。
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