先日、昔から付き合いのある友人について、
「ちょっと聞いてよ、この人さ……」
と、何気なく愚痴をこぼしていました。
昔は、一緒に何も考えずバカなことをして遊べるだけで楽しかった相手です。
でも、お互いに大人になり、環境も変わった今は、以前と同じ距離で付き合うことに違和感を覚えるようになりました。
最初は単純に、
「もう少し頭を使えばいいのに」
「どうして経験したことを次の判断に活かさないんだろう」
と思っていました。
ところが、話しているうちに気づきました。
私は、その友人を「頭が悪いから嫌だ」と思っているわけではなかったのです。
【私が本当に引っかかっていたこと】
私は、学歴が低い人や失敗した人を見て「ダメな人」だとは思いません。
私自身、何も間違えず、順風満帆に生きてきたわけではありません。
仕事でも人間関係でも、失敗や遠回りをたくさんしてきました。
これまで、接客業、飲食業、水商売、営業職、工場勤務など、さまざまな仕事を経験しています。
飲食店では、現場をまとめる立場を任されたこともありました。
現在はライバー、アドバイザー、クリエイターとして活動しています。
仕事だけではありません。
いくつもの恋愛を重ね、結婚、出産、離婚も経験しました。
家族との関係、夫婦間の価値観や金銭感覚の違い、子育て、ひとり親としての生活など、人には話しにくい問題や、簡単には答えの出ない関係にも当事者として向き合ってきました。
経験したから何でも分かるとは思っていません。
人によって事情も感じ方も違うので、自分の経験だけを基準に決めつけるつもりもありません。
ただ、現実を知らないまま綺麗事や理想論だけで話しているわけでもありません。
接客、営業、現場作業、店舗運営、発信活動。
一見するとまったく違う仕事ですが、どの仕事でも向き合ってきたのは「人」でした。
年代も立場も価値観も違う人たちと関わり、相手によって伝え方を変え、人間関係の間に入り、現場で起きている問題を整理してきました。
だから私は、「私は正しく生きてきたから、そうではない人が嫌い」というタイプではありません。
では、友人の何に引っかかっていたのか。
話を細かくしていくと、私が大切にしているのは、
・経験したことを次の判断に活かすこと
・原因と結果を考えること
・自分も問題の一部ではないかと振り返ること
・自分の見ている世界だけを「世の中のすべて」にしないこと
・今の行動が数年後にどう影響するか考えること
・失敗したら原因を考えて修正すること
・自由と無責任を混同しないこと
だと分かりました。
【誰かの結論を、そのまま受け取れない】
たとえば誰かが、
「私の周りには信用できない人ばかりいる」
「世の中の人はみんなこうだ」
と言ったとします。
私は、それを聞いて「そうなんだね」だけでは終わりにくいタイプです。
「本当に全員がそうなのか?」
「なぜ周囲に似た人が集まるんだろう?」
「本人の振る舞いや人との距離の取り方も関係していないか?」
「そもそも見えている範囲が偏っていないか?」
と考えます。
同じような環境にいても、自分がどう振る舞うか、どんな境界線を作るか、相手とどのような関係を築くかによって、周囲に残る人は変わります。
だから私は、誰かの話を聞くときに、
「その前提は本当に合っている?」
「ほかの可能性は?」
「相手だけではなく、自分側に変えられる部分は?」
「それは本当に原因と結果としてつながっている?」
と、一段掘って考える癖があります。
【親になって、求める人間関係も変わった】
友人への違和感が昔より大きくなった理由には、私自身が親になったことも関係していました。
自分一人の人生なら、お金や時間の使い方が多少雑でも、本人がその結果を引き受ければ済むことはあります。
でも、親になると自分の選択は自分だけでは完結しません。
誰と付き合うのか。
どんな大人を子どもの近くに置くのか。
お金や約束をどう扱うのか。
人との境界線をどう作るのか。
普段どのように振る舞うのか。
子どもは、親が口で教えたことだけではなく、実際にやっていることから「普通」を覚えていきます。
私は友人に「完璧な親でいてほしい」と思っていたわけではありません。
「自分の行動が周囲や子どもにどう影響するか、もう一段先まで考えた方がいいのではないか」
と感じていたのです。
【整理されたのは、友人ではなく私だった】
友人について散々話したあと、私の口から自然に出てきたのが、
「私ってバカなこともたくさんしてきたけど、根本は真面目なんだな」
という言葉でした。
私にとっての真面目さは、品行方正であることではありません。
現実は現実として見る。
自分の選択の結果は自分で引き受ける。
失敗したら原因を考える。
必要なら自分で立て直す。
自由と無責任を同じものにしない。
そういう部分を、私は思っていた以上に重く見ていました。
そして、友人と距離を置きたくなった本当の理由も見えてきました。
嫌いになったからではありません。
大人になり、親になり、私自身の価値観が変わったことで、
「この人を信用できるか」
「尊敬できるか」
「自分の生活圏にどこまで入れたいか」
「この人と同じ感覚を普通として歳を重ねたいか」
という基準が増え、昔と同じ距離では付き合えなくなったのです。
【愚痴は、ちゃんと掘ると自己分析になる】
今回の会話は、ブログを書くために始めたものではありません。
最初は本当に、
「ちょっと聞いてよ、この友達さ」
という愚痴でした。
それが、話を整理していくうちに、
友人の何が嫌なのか
↓
本当に「頭の悪さ」が原因なのか
↓
自分は何を大切にしているのか
↓
なぜ昔は許容できたのに、今は難しいのか
↓
自分はこれから、どんな人間関係を選びたいのか
まで見えてきました。
最終的に整理されたのは、友人ではなく私自身でした。
【これが、私がこの仕事を選んだ理由です】
私は、いわゆる「人を救いたい」という綺麗な理由から、この仕事を選んだわけではありません。
昔から人の話を聞いていると、
「それとこれは別問題では?」
「本当に嫌なのはそこ?」
「なぜ自分だけを責めているの?」
「逆に、自分側に変えられることは?」
「結局どうなれば納得できる?」
「では、次に何をする?」
と自然に考えていました。
散らかった話の中から違和感を拾い、事実・感情・解釈を分け、本人がまだ言葉にできていない本音や価値観を見つける。
そして最後は「では、どうするか」まで落とし込む。
さまざまな仕事や人間関係の中で、私が自然に続けてきたことでした。
それなら、それを必要としている人に仕事として提供してみよう。
それが、私が思考整理・壁打ち・相談の仕事を選んだ理由です。
相談内容は、最初から綺麗にまとまっていなくて構いません。
「ちょっと聞いて」
「この人にムカつく」
「なんとなくモヤモヤする」
「自分でも何に悩んでいるのか分からない」
そんな状態から始められます。
ただし、何でも肯定して「相手が悪いね」で終わる相談ではありません。
必要であれば、ご本人側の問題や見落としている部分もお伝えします。
完璧な人間だから相談に乗れるのではなく、自分自身も失敗や遠回りをし、さまざまな立場の人と関わってきたからこそ、人の矛盾や感情も否定せず、現実的に一緒に考えられる。
それが、私が提供したい相談です。