私が通っていた幼稚園での昼食はお弁当でした。
早生まれで食べ物の好き嫌いが遅く痩せていた私に母は、なんとかして食を太くしようとして栄養バランスよりも私の好物や見た目中心でお弁当を作ってくれました。
幼い私は、見たこののない食べ物にはなかなか手をつけないことも多かったのですが、それでも幼稚園という集団の中では楽しさや雰囲気につられて食べてくれるのではないかと思っていたのか、こどもの好きそうなきれいな色ではなく、完全昭和な黒い色や茶色の食材を入れてくれることもありましたが、私は器用に残した記憶があります。
幼稚園の保護者会かなにかでそういうお話を聞いたのでしょうか、ある日の母が作ったお弁当は、サザエさんの妹のワカメちゃんによく似た女の子のキャラクター弁当を作ってくれました。
ふたをあけた私は、唖然としてとても恥ずかしかった記憶があります。
女の子は確かに愛らしい。
でも一体、どこから食べたらいいのだろう。
髪も毛のノリを食べたら髪の毛が無くなって可哀想だし、顔のどこを食べても女の子を食べているみたいで、とても残念な気持ちになりました。
それに一緒に食べるクラスメートの視線も気になります。
きっと母は、私が喜んで食べたこともない食事内容でも今度こそ完食してくれるに違いないと思ったのでしょう。
帰宅一番、母がとても喜んで「今日のお弁当どうだった?」と先に聞いてきました。
私は悲しくて「どこから食べたらいいのかわからなくなって、残してきちゃった」と正直に話しました。
今思えば、なんて気が利かない優しさのないこどもだったのでしょう。
優しいこどもだったら、母親の気持ちを想像して優しい嘘をついていたのではないでしょうか。
もちろん母はたいそうがっかりして、それからというものお弁当は逆戻りどころか手抜弁当になってしまいました。
父もまた弁当を持参して通勤していました。
父は夕食中に話をすることは稀で、晩酌しながら無口で箸を進めるのですが、時々ぼそっと「これ、今日残す」というのです。そして「明日の弁当にしてくれ」と続きます。
母は父が何回か繰り返しているので、その意味がわかります。
「今日の夕飯は美味しかったから、明日の弁当にもしたい」
そういう意味です。
大家族の夕食の切り盛りを中学生から嫁入りまで続けていた母が、核家族の夕食をどのくらいの量を作っていたかは記憶が薄いのですが、父は良く「母さんは夕食作りすぎるんだよなぁ」と言っていました。
なので父がおかずを残す必要があったのか、余分に作っていたのかはもうわからないことです。
父もまた大家族の出身でしたが、故郷が違うと量も違っていたのかもしれませんし、札幌に来てからの父は結婚する前までは寮あるいは一人暮らしが長かったので、食習慣が違っていたのかもしれません。
お弁当作りって、いろいろ考えると大変な作業ですよね。
現代ではかなり手間を省いてもそれなりのお弁当が作れる時代にはなりましたが。