消さなくてもいい苦しさ

消さなくてもいい苦しさ

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コラム
こんにちは♪


こんな風な綺麗な雫に出合えたり、
雨のあとのお散歩も好きです。


最近は急にトマトが食べたくなったり、生姜が食べたくなったり・・・。
きっと、からだが必要な何かを欲しているんだろうな~と思います。


トマトはね、プチプチ穴をあけて、少し焼くか茹でるかして、
だし汁につけておくと美味しいよ♡
土生姜は、土鍋で生姜ご飯として炊いてみたら、とても美味しかったです。


そのとき湧いてきたものを、そのまま叶えてあげられること。
そんな何気ないことにも幸せを感じます*^^*


自然の流れって、
生命の働きそのもののように感じています。


それは、個人の私の都合だけに合わせて起きているものではないようでした。


絶対こうなりたい。
そうならないなんて怖くて想像もできない。
そんな思いに出合うこともあります。


自然に目覚めていく過程では、
そうした苦しさにぶつかることもあるのだと思います。
こうなりたいという思いがあってはいけない、ということではありません。
それも自然に起きてることだから。


ただ、その願いが叶うかどうかは、
私たちが決められることではない。


だから少しずつ、
「こうなりたい。」
「でも、そうならなかったとしても大丈夫。」


そんな「どっちでもいい」という心地へ、
自然に開かれていくことがあるように感じています。


これは、「どっちでもいい」と思い込もうとすることではなく、
とても感覚的なものです。


サラさんの場合も、
パートナーシップへの強い憧れと、
ココナラでのお仕事が無くなってほしくないという思い。


この二つが、
流れの中で「どっちでもいい」という心地へ開かれていく体験をしてきました。


「パートナーがいなくてもいい。」
「ココナラの電話も無くなってもいい。」


そう呟いてみると、
胸がぎゅっと締め付けられるような強い抵抗感がありました。


その抵抗感も、
あってはいけないものではなく、
そのままあっていいものとして見守ってあげる。


最初は、これがとても怖かったです。
そんなことを思ってしまったら、
本当に無くなってしまうんじゃないか。
諦めなければいけなくなるんじゃないか。


そんな思い込みも、そこにはありました。
そこから生まれてくる
苦しい~
という感覚も、

また、そのままにしてあげる。

苦しさは、
あってはいけないものではないので、
そのまま居場所をあげていると、
自然と少しずつ薄まっていきます。


その中で、
執着を手放せるような経験も、
また自然に起きてきます。


そうして、
あんなに握りしめていたものが、


どっちでもいい。
そんな心地へと、
少しずつ開かれていくのです。


そうなると、
外側の現象がどうであっても、
以前ほど振り回されなくなります。


心にスペースが生まれ、
とても楽になっていきます。
これは、とても感覚的なこと。


苦しさを解釈で変えて、一時的に楽になることもあるけれど、
私にとっては、それとは少し違うものでした。


ただ感じて、
そのままにしているうちに、
自然と変化が起きてくる。
そんな働きがあるように感じています。


だから今、
苦しさがあることも、
何かがおかしいわけではない。


目覚めへ向かう過程で、
誰にでも起こりうる自然な働きなのかもしれない。
そんなふうに感じています。















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