おはようございます*^^*
綺麗なゆりの写真をシェアしていただきました。
白さは純粋さを思い出させてくれるように感じます。
お花は他力で、様々な力の上で咲いている。
私たちにも、
同じなんだよ
そのことを思い出させてくれますね。
生まれるも、死ぬも、それも呼吸を生み出すことも
自力でしていない。
向き合っていくと、思考も自分でコントロールできないことが
見えてきますし、
体の中の働き一つとっても、私たちが
コントロールできない中で生かしてもらってる。
そこを思い出すと、自分がしようとしなくてもいいんだな。
体の動きや、現れてくるものと共に委ねるように
存在していればいい。
そうするしかない、安心感に包まれるのを感じられる。
もし、力みや、やらなければという焦りがでてきたら、
それは頭の中の物語の世界に入り込んでいないだろうか・・・・
そのこと思い出してみたいですね*^^*
あっ、そうそう、
昨日のことなのですが、車をバックさせているとき
気を付けて動かしたつもりだったのですが、
”もう少しで引かれるところだったじゃない”
とえらい剣幕で怒られるということが現れました。
その時不思議と、
その命からは怒りが現れていて、
ここからは謝るという行為が現れてきた。
そんな風に、その一コマの一体感の中で
動きを見守っているような感覚に包まれたのでした。
もう一つ、その後、
車と原付の事故も目にしたのですが、
それもまた、命の動きの中でそれが現れていて
そのことも、平等な動きとして
同じように見守る感覚が現れました。
これも自然と起きてきていること。
私たちは、それらの自然の動きを
いつもいつも
気付きと許しの中で見守られ
そしてそこへと還ろうとしてるのだな。
それが本当のわたしだと思い出そうとしてるのだなと
日々その感覚が深まるのを感じています。
主観が強ければ
こんなことを目にする意味を考えて
自分を否定する要素を頭で考えて
もやもやしていたかもしれません。
体は今と一番近くに存在してる。
そこに寄り添って、気づきと許しのスペースを深め
味わいたいと思うのでした。