導仁です。
誰かの一言や、数字や結果に触れたあと。
「あの人からどう見られたかな」
「これで足りてると思われるだろうか」
「がっかりされたかもしれない」
こんな考えが頭の中でぐるぐる回り始めて、
自分が何を大事にしたかったのか、どんなペースで進みたかったのかが、
あっという間に分からなくなることがあります。
積み重ねてきたものを静かに振り返る時間。
「このまま続けるか」「少し変えるか」を見直す節目。
本来、そういう時間のはずなのに。
「他人の評価」を優先しすぎると、その静かな見直しの時間が、
「まだまだ足りない」にしか見えなくなったり、
「自分なんて大したことない」に直結したりしていきます。
心理学やアドラーの考え方では、他人の評価と自分の価値は、本来まったく別のものだと言われています。
誰かに「すごいね」と言われたから価値が上がるわけでも、
「ダメだね」と言われたから価値が下がるわけでもなくて、
その評価は「評価する側の期待やコンディション」によって簡単に変わる、不安定なものだからです。
それなのに、自分の価値のハンドルを「相手の評価」に渡してしまうと、
褒められないと自分を保てなくなる。
注意されると、存在ごと否定された気がする。
誰かの一言で、一日分の自信が全部吹き飛ぶ。
そういう状態に、あっという間になってしまいます。
評価を気にして自分を殺さないためのスタートラインは、
他人の評価は「天気予報」くらいのものさし、
自分の価値は「今日の天気」とは別に存在している、
と頭のどこかで知っておくことです。
雨と言われたら傘を持っていくように、評価は「参考情報」として扱う。
でも、「雨だと言われたから、自分そのものがダメになった」とまでは決めつけない。
では、評価を気にするときに自分を殺さないために、何ができるでしょうか。
まず、「評価」と「フィードバック」を分けて受け取ることです。
他人の言葉を全部「評価」として飲み込むと、苦しくなります。
「ここを直したほうがいいかも」は、本来はフィードバック(改善のヒント)。
「あなたはこういう人だ」は、相手の主観(ラベリング)。
行動に対する具体的な指摘なら、必要なら取り入れる。
人格や価値にまで踏み込む言葉なら、「相手のものさし」として距離を取る。
全部を飲み込まず、「どこまで自分の中に入れるか」を選び直すだけでも、自分を守れる部分が増えます。
次に、「誰の評価なら、少しは参考にしてもいいか」を決めておくことです。
評価を完全に気にせず生きるのは、現実的ではありません。だからこそ、長く自分を見てくれている人、自分の大事にしている価値観を知っている人、自分の弱さも含めて扱ってくれる人。「この人の言葉なら、少しは受け取ってもいい」という範囲を、意識して決めておきます。
それ以外の言葉は、「たまたま今日、その人にはそう見えたんだな」という位置に置いておく。
積み重ねを見直すこの時間は、「誰の声を、どこまで自分の畑に入れるか」を選び直すタイミングでもあります。
最後に、自分の評価軸を「どう見られたか」から「何を育てているか」に戻すことです。
他人の評価に飲み込まれそうになったとき、問いをこう変えてみます。
「今日、自分は何を育てた一日だったか?」
スキルでも、人との信頼でも、自分の体力や健康でも、自分との約束を守る力でも。
「自分が育てたいもの」を一つだけ選んで、そのためにやったことを三つ書き出してみてください。
メールを一通だけ丁寧に返した。今日はちゃんと休むと決めて、実行した。本音を一言だけ伝えた。
こういう一つ一つが、「自分の畑」で静かに育っているものです。
誰かの評価を気にするのは、「ちゃんとやりたい」「粗末にしたくない」という真面目さから来ていることがほとんどです。
だからこそ、その真面目さを「自分を削るほう」にだけ使うのではなく、
他人の評価と自分の価値を分けておくこと、
誰の声をどこまで入れるか自分で選ぶこと、
自分の畑で何が育っているかを静かに見に行くこと、
に使ってあげてほしいのです。
「どう見られたか」よりも、「何を育てているか」に目を戻してあげる夜を。
導仁より。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
もし今、誰かに話してみたいと思うことがあれば、
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整理できていなくても、言葉にならなくても、大丈夫です。