「運命の人」なんて言葉、信じてますか?
わたしは――と胸を張りたいところだけど、正直こう答えるしかない。「信じたくないけど、どこかで信じたいと思ってる」。これが多くの人の本音じゃないかしら。
そりゃあね、冷静に考えれば運命なんて作られた概念に過ぎないし、占いなんて統計学か心理戦よ。でも、それが分かっていても、恋愛がうまくいかない夜や、未来が見えなくて不安な朝には、「どこかに運命の赤い糸、転がってませんか?」って手探りしちゃうわけで。
誰かの言葉を信じて泣いて、信じられなくて笑って、それでも今日も生きてる。そんなわたしたちの話をしようと思う。
運命なんて信じない理由
「運命の人なんていないよ」。このセリフを真顔で言う友人がいる。彼女は30代後半、バリキャリで、恋愛にも現実主義者だ。「そもそも地球上に80億人いるのに、1人だけが運命の人なんて無理があるでしょ」って笑う。でも、その彼女が酔った勢いで、「実は占い師に『来年運命の出会いがあります』って言われたの」とこぼしたとき、わたしは知ったのよね。人間、どこかで奇跡を期待しちゃうんだなって。
占いが当たらないことなんて百も承知だ。それでも、苦しい時には未来の希望を求めたくなる。ひとつの光があるだけで、進める気がする。信じないという自分の論理を超えて、心が弱い瞬間にすがりたいもの、それが「運命」や「占い」なのかもしれない。
信じたくなる瞬間
たとえば、街中でばったり昔の恋人に出会ったとする。そのとき「あれ、これって運命かも?」と脳が勝手にスイッチを入れてくる。
あるいは、友人の結婚式でスピーチを聞いているうちに、「ああ、こういう幸せ、わたしにも訪れるのかな」とふと涙が浮かぶ夜。信じたくなる瞬間って、決まって予想も準備もしていないときにやってくる。
信じるのは自由だけど、問題はそれが現実を動かす力になるかどうか。期待しては失望して、それでもまた新しい朝が来る。その繰り返しの中で、「信じる」こと自体がひとつの力になる気がする。奇跡が起こらなくても、信じたことで前を向けるなら、それも十分運命の仕業と言えない?
占いが「当たる・当たらない」を超えた価値
占い師としてわたしが思うのは、占いの本当の価値は「当たるかどうか」ではないということ。占いは、未来を確約するツールではなく、むしろ自分を見つめる鏡なのよ。
たとえば「今年中に結婚できますか?」という質問があるとする。カードや星がどう言おうと、その問いをした時点で、心の中には「結婚したい」「でも不安だ」という気持ちがある。それを占いは表に引き出してくれる。
未来を左右するのは結局自分自身。占いはその小さな手助けをするに過ぎない。だからこそ、「当たらなかった」と腹を立てるより、「自分がどうしたいか」を考えるきっかけにしてほしいの。
結局、信じるも信じないもあなた次第
運命を信じるかどうかなんて、究極のところ自分の自由だ。でも、信じても疑っても、人生は結局、自分で作り上げていくもの。
「運命の人が現れるかも」と思えば一歩を踏み出せる日もあれば、「そんなの嘘だ」と笑い飛ばせる強さで前に進む夜もある。それでいいんだと思う。
奇跡なんてめったに起きない。それでも奇跡を信じる心がわたしたちを動かしてくれる。今日も、運命を笑い、占いを試し、未来を探し続けるあなたへ、エールを送りたい。
「星の導きは道を示すけれど、歩くのはあなた自身だ」とある賢者は言いました。どうぞ、あなたの一歩を占いとともに見つけにいらしてください。