ギフテッドを育てたその先に ~安心できる日は来る?それともヒヤヒヤの連続?~

ギフテッドを育てたその先に ~安心できる日は来る?それともヒヤヒヤの連続?~

記事
コラム
ギフテッドの子どもを育てている親御さんは、日々どんな思いで子育てその他に向き合っているのでしょう?今は大変だけど大きくなったら落ち着くかも、集団生活に何とかなじめる日が来るかも、協調性だって多少は…。これ、子ぱんだ1(ギフテッド)が小学生だった頃にままぱんだが期待していたことです。結果どうなったかって?それはもちろん…。
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ギフテッドはギフテッド、特性はなくならない


そうなんです。当時のままぱんだが密かに期待していたこと、それはつまりギフテッド特性をなくすことに他ならないのです。無理です。ままぱんだ自身がそうだったように彼もまた、日々いやでも覚える違和感に苛まれ、苦しんでいたんだと思います。学校行かなきゃ、でも体が重くてどうにもならない。そんなもどかしい気持ちで過ごしたであろう不登校初期。今なら彼の気持ちを慮ることもできますが、当時はそんな余裕まったくありませんでした。関係がギクシャクするどころか、泣いて抵抗されたことも。

「もう生きていたくない…」と思ったこともあったでしょう。先生と揉めて親が学校へ行ったこともありました。集団生活になじめていたかも謎です。考えてみれば、中学生になっても小学校のときと同じような案件があったのです。不登校になった中学時代から見ると、6年間であんなに問題があったのに学校へ行っていたことが信じられません。

そして現在、高校生になった彼の様子はというと…。課題を締め切りギリギリで出すありさまです。やるけれど、そのやり方が極端なところはままぱんだそっくり!メンターの先生は毎月、寿命が縮まる思いでしょうね。「もう少しゆとりをもって提出しましょう」という連絡が親のほうに来ました。子どもじゃなくて。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです💦

親のほうが鍛えられる、本当に強くなる!肝が据わる


もうね、何でも来い!状態になります(笑)。学校に呼び出されても平気、目の前でわが子が先生に叱られても冷静に見ていられます。もちろん、帰ってからフォローはしますけどね。小学校の間だけでも、何度担任の先生から電話がかかってきたことか、何度連絡帳に赤ペンで注意を書かれたことか。初めのうちこそ動揺しましたが、そのうち「よし、来た!」状態になります。先生には「言い聞かせます」と魔法の言葉で対応し、子どもには「先生は○○と言ってたよ~」と事実をさらっと伝えていました。子どもって、親と先生のやりとり(会話でも電話でも)が非常に気になるようで、じっと聞き耳立ててましたね。それから当時、ままぱんだが決めていたのは、「先生の言うとおりにしなさい」とは子どもに言わないことです。自分で考えて、自分の意見というものを持ってほしかったから。

友達と揉めるどころか先生を激怒させる子ぱんだ1(ギフテッド)。波乱万丈なのは学校生活にとどまらず、家庭においても同じでした。ご飯を一緒に食べないなんてのは序の口で、超夜型の生活(それも一定しない)、帰ってこない、家にいても時間がことごとくすれ違って2、3日言葉を交わさない。どういう教育してるの!?と責められる要素しかない生活です。でもこれが現実。そこをどうにかこうにか、社会と断絶することにならないよう繋ぎ止め続けて今日がある、という感じなのです。子どもにギフテッド特性がない親御さんからしたら、びっくりして目が点になるどころかなくなってしまうくらいかもしれません。

そんなこんなで、気づいたら相当鍛えられていました。子ぱんだ2(定型発達)だけの子育てでは、とてもここまでにならなかったのでは?と自分でも思います(笑)。

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安心できる日は来ない、でもワクワク感も半端ない!


そう、ここまで読んでくださったあなたはもうお分かりだと思いますが…。ギフテッドを育てていて安心できる日はやってきません。サンプル数1ですけどね。小学生になっても、中学生・高校生になっても。はたまた大人になっても(これもサンプル数1、ままぱんだ自身です)。この子はこの社会で生きていけるのだろうか?どうやって生きていくんだろう?自分の将来、ちゃんと考えてるのかな??真面目に心配していたら体がいくつあっても足りません。

そこでままぱんだは、ヒヤヒヤさせられること(心配なこと)を意識的に「ワクワクすること」に変換することにしました。そもそも親が子どもに対してする心配って、子どもからしたら「うるさい、ほっといて!」のことが多いと思うんですよね。自分がそうだったから、この部分はよく分かるのです。精神的・経済的に自立することが目標で、もう未来しか見えていない状態でした。親が自分の心配をしている、と頭では分かっていても振り返る余裕なんてなかったですし。だから、子どももそれでいいと思っています。親の思うようになんてなりません。ここまで育ててきて感じるのは、「なるようにしかならない」。でもこれは決して悲観しているのではなくて、「なるようにしかならない」けれど、それでも「なんだかんだうまくいく」ということです。社会の「こうあるべき」とか、他人の評価軸とか、そういうものに惑わされなければ、自分で選んだ道は長い目で見るとうまくいってるな~。そう、ままぱんだは思います。

もし面談で、ギフテッドの子どもの至らない点ばかり列挙されたら…!?

先生の目の前で、言われたことをすべてメモして、帰って子どもと議論してみてください。言われて悲しかった悔しかった、だけでなく、短所ばかりを指摘する先生の考えや事情など、広い視野で話し合うと面白いかもしれません。さて、ギフテッドの子どもからどんな意見が出てくるでしょうね。こう考えるだけでも少しワクワクしてきませんか?
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