子育て中。子どものことはよく見ていても、自分のこととなるとどうしても後回しにしがちです。だって、子どもが小さければ小さいほど大変だし、少し大きくなって仕事に復帰したらしたで今度は時間に追われる毎日ですもん。自分のことまでなかなか手が回らない💦でも、そんな中でももし「わたし、ギフテッドなのかも…」という疑念が膨らんできたら?家族に相談する?親に聞いてみる?はたまた、誰にも相談せず一人で調べ尽くす??
今回は、「わたしはギフテッド?」と疑念を持っているのに周囲からは「普通だよ」と言われてしまう謎について、紐解いていきます。自分の中では違和感いっぱいで苦しいのに、なんならギフテッドの特徴とされている項目にもほとんど当てはまっているのに、周りの人には「普通」と言われてしまう。それはいったい、なぜ?
理由その1. よほどでなければ、人は聞かれても「普通だよ」と言う
そうなんです。よほどのことがない限り、人は聞かれても「普通」と答えるものなのです。よほどのことって?例えば、「生きていたくない」と泣き叫んで学校を巻き込むほどの大騒ぎになるとか。職場でコミュニケーションがまったく取れないとか。そういうレベルです。まず、本人がいくら違和感を覚えていようが、つらい思いをしていようが、はた目から見てみんなとだいたい同じようにできていれば「普通」と判断されます。本当は必死に擬態していたとしても。
それに、「あ、ちょっと変わってるな」「空気読めないよね」「浮いてる」と思われていたとしても、それをストレートに本人に言ってくれる人はまずいません。波風立てたくないですからね。ただし、言われないだけで「変わった人認定」「不思議な人認定」はしっかりされていると思ったほうがよいでしょう。ままぱんだもそうでした。大人になるにつれて面と向かっては言われなくなるのですが、子どもの頃はそれはもう言われましたね。小学1年で上級生から「頑固」と言われ、3年で先生と口を利かなくなって「貝みたい」と言われ…。大人が勝手に作り上げた理想の子ども像とはかけ離れていたため、何かにつけて注意され、先生にも目を付けられがちだったままぱんだ。親が呼ばれたこともあるのに、それでも受診を勧められることはありませんでした。当時は、発達クリニックや心療内科があまりなかったというのもあるかもしれませんが。親が「うちの子は普通」と思い込みたかったというのもあると思います。
理由その2. ギフテッドを世紀の天才だと思っている
これもあるあるだと、ままぱんだは思っています。ギフテッドは知られるようにはなってきましたが、それでもどこまで知っているかについては個人差があります。調べまくって論文まで読んでいる人もいれば、ギフテッドと聞けばアインシュタインやレオナルドダヴィンチのような教科書に載るような人物を思い浮かべる人もいることでしょう。
ということは、ですよ。もし聞いた相手が後者だった場合、あなたがノーベル賞級の世紀の大発明でもしない限り、その人の中で「ギフテッド」にはならないわけです。だから、自分が普通か聞いても「普通だよ」と言われてしまう。これはもう、相手がギフテッドについてどこまで正しく知っているかの問題です。聞くほうができることとすれば、ギフテッドについて専門家が書いた文献を見せることくらいでしょうか。
一方で、前者だったらラッキーです!論文まで読んでいる人であれば、あなたの話や悩みを親身に聴いてくれる可能性大ですから。
理由その3. 周囲の人も実はギフテッドだった
ギフテッドは遺伝か環境か?については、さまざまな意見があることと思います。ですが、ままぱんだは遺伝だと考えています。というのも、身長や骨格、性質など多くの形質が両親から受け継がれるからです。知能もその中の一つといえるでしょう。なので、子どもがギフテッドだっ場合、親もギフテッドである可能性は十分考えられると思っています。もちろん、隔世遺伝のケースもあるでしょう。
そして、あなたが自分のことを普通かどうか聞いたときに相手がギフテッドだった場合。「普通だよ」と言われても不思議ではありません。そう、ギフテッドから見たらギフテッドは「普通」に見えるのです。人口の2%で少数派だし、めったにお仲間にも出会えないので、話せただけでおたがい嬉しくなるかもしれません。親子ともにギフテッドの場合は、ともにズレているので、その「ズレ」に気づけない場面があることも。当時幼稚園児だった子ぱんだ1(ギフテッド)が電話の向こうの祖父母と敬語で話していたときも、そばで聞いていたはずなのに、ままぱんだはその異常性にまったく気づけなかったり。同じく子ぱんだ1が1、2歳の頃、親戚に「この子なんかおかしいよね」と言われて当時はなんて失礼な!と憤慨したけれど、いま思えば普通の人がギフテッドを見たらそう感じるのか、と考えてみたり。
気づけないことがある一方で、普通はスルーするであろうことに気づけるのもギフテッドの特徴だと思っています。「自分がどこにいるか、わからなくなるときがある」という衝撃のひと言を放ったのは、小学1年だった子ぱんだ1。6歳の子どもの言うことです。冗談だと受け流すのが普通だったかもしれません。ところが、ままぱんだにはこれが冗談とはどうしても思えなかったのです。こう訴えてくるというのは何かある。きっと何かがある。でもそれはなに?そしてこれが、すべての始まりとなったのです。
自分の中の違和感を信じてみる。まわりに振り回されないことが大事
そうです。もう本当、これに尽きます(キッパリ)。
自分の中の違和感を信じて、それを確かめる手段として検査を受ける。これが最強だと、ままぱんだは思っています。もちろん、検査を受ける受けないは自由ですし、それぞれにメリットデメリットもあります。受けたからといって、その後の人生がバラ色になるわけではありませんのでね。
ただ、これだけは言えます。
まわりに振り回されないことが大事、自分の中の違和感を信じることはもっと大事だと。まわりの意見を聞くこと自体はよいと思うんですよ。でも、それが自分の中の違和感と違った場合。「あれ?」と少しでも思ったなら、一度立ち止まってほしいのです。まわりがそう言うからという理由だけで受け入れてしまうと、違和感の正体がわからずにずっと苦しみ続けることになるかもしれないから。
ままぱんだは自分自身、検査を受けるにあたって誰にも相談はしませんでした。家族にもです。受けた後、結果を見せたら「あー…」って子ぱんだたちには言われましたけどね(笑)。知能検査って自費だと数万円かかりますし、検査時間も長い(2時間程度)ので、なかなか気軽には受けられません。それでも、受けて良かったと思っています。というのも、「自分」を客観的に見ることができたから。もっと早く受けていれば…と何度思ったか知れません。
子どもが通う発達クリニックで「お母さんも似ていますね」と謎の指摘をされてから5年もの間、悶々とした気持ちを抱えたまま過ごしていたままぱんだ。自分も普通じゃないのかも…という恐れにも似た疑念に駆られていたにもかかわらず、積み上げてきた人生が崩れそうで、検査を受けるという一歩が踏み出せなかったのです。そのため、自分の特性を正しく把握することができず、合わない仕事を選んでしまっていました。スピードを求められる仕事や、マニュアル通りに進める仕事なんて、自分には合わない仕事の最たるものなのに(泣)。クリニックで指摘された時点で検査を受けていたら…。防ぐことができた失敗だと思っています。
まわりから指摘されなくても、普通だと言われても、自分の中で違和感があるのであればそれを信じたほうがいい。ままぱんだはそう考えています。いきなり検査はちょっと…だったら、心療内科を受診して、そこで話を聞いてもらうのも手だと思います。「ギフテッドなのかも…」と悩めるあなたが安心して次の一歩を踏み出せるよう、ままぱんだはいつでも応援しています!そして、
ままぱんだのように何年も苦しんだり、防げたかもしれない失敗を重ねたり、ということになりませんように、と願っています☆